ぼくたちの船タンバリ

ぼくたちの船タンバリ (岩波少年文庫)ぼくたちの船タンバリ
ベンノー・プルードラ
上田 真而子 訳
岩波少年文庫


旧東ドイツの小さな漁村。
一本マストの美しい船タンバリは、
老船乗りルーデンが、さすらいの後に帰ってきた故郷のこの村で、亡くなるときに、遺言により、村の組合に残された遺産でした。
だけど、村人たちにとっては厄介な遺産であり、何の世話も補修もされず、もてあまされるまま。
若いころに村を出て行ったきりずっと音沙汰なし、
自由気ままに生きて、
ふらりと帰ってきて老後をこの村で漁をしながら穏やかに暮らしたい、と考えていたルーデンは、
狭いこの村では、変わり者であり、冷たい戸惑いの中で、ほとんど村八分的な存在であったことにもよる。
ルーデンと友達だったのは12歳のヤンで、彼は、ルーデンといっしょにタンバリに乗り、漁に出た。
素晴らしい夏をすごした。ルーデンを本当に知っているのは、ヤンだけだったかもしれない。
ルーデンの、おだやかな達観した瞳。海の上で、彼は、ヤンにさまざまな物語や思い出を語った。
ルーデン亡きあと、タンバリのことをほんとうに愛し、
風雨にさらされて徐々に痛んでいく船を心から心配していたのはヤンただひとりだけだったかもしれない。


ヤンにとって、タンバリは、大切なルーデンの思い出であり、彼の未来の道しるべであり、
そして、実際、この船に乗って自由に海に乗り出したいという憧れそのものでした。


タンバリが、傷んでいくことは、ヤンのなかで船に託すそういう思いのすべてがずたずたにされるようなものだったのでしょう。
タンバリを守りたい、直したい、この船でもう一度海にでる。それもこの夏に。
ヤンは仲間たちを募り、船を管理し、補修する計画をたてます。
この船を持て余していた大人たちは、渡りに船、とばかりに子どもたちにまるごと船を譲り渡すのです。
ところが・・・


ヤンのルーデンの思い出が、沁みるように美しくて。
ヤンにとってルーデンはどんなにすばらしい人だったのだろう。
ルーデンの物語が、ヤンのなかに静かに広がっていく様子もまた、素晴らしい。
そして、ルーデンがみつめる海の彼方を、ヤンもみつめる。自分の未来を重ねながら・・・
青い海にタンバリの白い船体、なんてきれいなんだろう・・・
海は、その残酷さも含めて、なんて美しいのだろう。


ところで、大人たち。
もてあましものをいいこと幸い、とばかりに投げ出すように与えておいて、
今さら、必要だから返せとか、やらなかったことにしようとか、もう無断で他の使い道を詮議していたり・・・
子どもたちに犠牲的精神を学ばせるよいチャンスとか・・・
なんという身勝手な話ではないか。


タンバリを手に入れたこどもたちの間もごたごたしていました。
タンバリへの思いは、こどもたちそれぞれにある。
ヤンだけがタンバリを愛しているわけではない。
ヤンの親友ヘンドリーク、憎まれっ子のハイノ―・・・
そして、その思いや憧れは、譲歩できないほどのこだわりでもある。だから殴り合いにもなる。
大切だ、という思いは一緒のはずなのに、その思いの濃さや内容がみんなちがう。
そして、自分の憧れに誠実であろうとしているだけなのだ。
どの子の気持ちもわかるんです。
だから、協力し合えないのもなんとなくわかるし、だからといって、はみだしたものを切り捨てるわけにはいかない。
カスバウムの存在がいいのです。
のんだくれで、いつでも酔っ払っていて、誰からも相手にされない彼なのに、
子どもたちの信頼をものにするのは、公平で偏見のない態度のせいでしょう。
彼は、亡きルーデンに少し似ているような気がする。


実は大人たちも、もめているのでした。
身勝手な大人たち、と思うけれど、そうしないではいられない事情もわかるのです。
そのうえで、子どもたちとの約束を裏切るまいとする人たちの存在の温かさがいいです。
ヤンの父、呑んだくれのカスバウム、学校の校長ショースターペーター先生・・・
それぞれにみんな違う立場、ちがう言葉で、決して一面的ではないのがいい。
そのため、こちらもけんかになる。
まったく熱いおじさんたちです。
逆の立ち場の人たちもそう。それぞれに思惑があり、それぞれなりに考えているのです。一概に非難できないのだ。
あの場所に自分がいたなら、いったいどこに立っていただろうか。どちらを向いていただろうか・・・
まとまりのつかない堂々巡りの議論のなかで、「むずかしくしているのは、おれたちのこういう状態なんだ」という言葉。
大人社会と子ども社会がまるで写し鏡みたいに思えるのでした。
大人という波にもまれて翻弄される小さな船のような子どもたち。


いったいタンバリってなんだろう。
最後の船の乗組員たちの覚悟の辛さ・けなげさが愛おしくてたまらない。
それでもそこへ向かっていくんだよね。大人よりずっと大人だなあ、と思う。
大人は、こういう子たちを裏切ってはいけないでしょう。
そして、大人なら、頭のある大人なら、現状を打破する道を様々な方向から探してみたいもの。
必ず見つかるはず!と強い念を抱きつつ。(と、気づかせてくれた)
子どもの物語ですが、わが身をなぞらえつつ、いつのまにか子どもをめぐる大人たちの物語を読ませてもらっています。