僕の名はチェット

ぼくの名はチェット (名犬チェットと探偵バーニー1) (名犬チェットと探偵バーニー 1)ぼくの名はチェット (名犬チェットと探偵バーニー1)
スペンサー・クイン
古草秀子 訳
東京創元社


語り手は犬のチェット。それも決して名犬なんかじゃない、ごく普通の犬。
それでも、私立探偵バーニー・リトルとミックス犬チェットは黄金のコンビ。


犬目線で語られる文章がとてもおもしろくて新鮮。
確かに犬ってこんなふうに人間をみているのかもしれない。
こんなことを考えているのかもしれない、と思う。
彼の独白がたまりません。思わずクスッと笑ってしまう。
そして、チェットは怒るかな。彼のこと、かわいいやつ、って思っているんですけど。


犬なので、その状況によって、セリフや行動に対する思いや判断が、いまいちヒトとちがっていたりずれていたり、
または、逆に、人間のほうも、犬を見る目、思いや判断が、犬の意志(?)とかなりずれていたりもするのです。
その二者のすれ違い・ずれ加減が楽しいし、おもしろい。


こんなにずれているのに、この二人(?)つまりバーニーとチェットは強い信頼と友情に結ばれている。
想像してみる。
もしもチェットが人間だったらどんな姿になるかな。
そして、バーニーと二人、どんなふうに暮らしたかな、とか。
もしもバーニーが犬だったら、どんな犬になっているかな。
そして、やっぱりチェットと素敵なコンビになっているだろうな、とか。


作者は実際長年犬と暮らしているそうですが、本当に犬が好きなんだろうなあ。
犬の姿がとてもリアルだし、犬に対する敬意や愛情(厭らしい感じでなく)を感じるのです。
肩肘張った「動物は友達だよ」というスローガンではなく、自然な人と犬の関係はほんとにいい感じなのだ。
人でも犬でもこんなに素敵な相棒になれるんだ。


ドッグシェルターでのチェットの体験を読むと、「動物保護」という言葉が、実は動物のためにあるわけではなく、人間社会のためにあるのだ、ということを認識させられます。
動物の身になってみれば、その「保護」は実に迷惑、どころか、残酷なのだ、ということを、犬の目で教えられました。
シェルターって、避難所って意味だと思いましたが、なんと皮肉な言葉だろう。


リトル探偵事務所の面々(つまりバーニーとチェットのことですけど)は、ある女子高生失踪事件を追います。
バーニーの表情、咳や、癖などから、彼の感情(快不快)を知るチェット。さらにその描写から私たち読者は、人間という同族意識から彼のもうちょっと複雑な思いを察する。
・・・それは自分の体験からくる情に負けて、報酬外のところで命がけで動いてしまう人の良さなど、全然ハードボイルドじゃないってこと。(好ましいです)
タフなんですけどね^^


言葉が通じないために、
たとえばチェットの目を通して読者も早くからわかってしまっているある重大な事実を
探偵バーニーに理解させることができないこと。
また逆にバーニーの考えていることや求めていることが、チェットにわかりずらいこと。
(食べ物やおもちゃ、狩りなど、チェットにとってはその場で最も重要なことに気を取られてしまったりして) 
全部見えている読者としては、伝わらないことが、もどかしくてもどかしくて。
でも、それがどういう回り道の果てに合意に達するか、どうして黄金のコンビでいられるのか、興味しんしんでもあるのです。
ふむふむ、なるほど! 


ミステリであり、冒険物語であり、アクションものであり、ユーモア小説でもあります。読後感も気持ちよかった。
シリーズ二弾目が出る日を楽しみに待っています。