海流のなかの島々(上下)

海流のなかの島々 上 (新潮文庫 ヘ 2-8)海流のなかの島々 (下巻) (新潮文庫) 海流のなかの島々 上
海流のなかの島々 下
アーネスト・ヘミングウェイ
沼澤 洽治  訳
新潮文庫


ヘミングウェイの死後、発表された作品ですが、これは、新しい壮大な物語の一部になるはずだったらしいです。
唐突に表れる場面、ぶっきらぼうなくらいに寸断された場面は、そのせいかもしれません。
未完成な印象はたぶんにあるものの、かえって、それだからこその魅力でもあります、この本の美しさは。


第一部 ビミニ。
キューバ近郊のビミニ島にひとりで暮らす画家トム・ハドソン(ヘミングウェイ自身がモデルらしい)のもとへ、
三人の息子(別れた妻たちの子たち)が、夏のあいだ一緒に暮らすためにやってきます。
少年たちと、作家のロジャー、コックのエディーや、酒場のボビー旦那など、素晴らしい男たちの、素晴らしい夏。
マッチョで呑み助な男たちの夏は、その自然描写の硬派な美しさにも、エロチックでやくざな会話にも、魅了されずにいられない。
ハドソンの長子・若トムが幼い日のパリの思い出を語る場面では、少し前に読んだ『移動祝祭日』を思い出させました。
圧巻は、次男とカジキの格闘シーン。
老人と海』のもとになった場面とのことですが、
少年の初めての正念場であること、父やその友人たちの男親らしい見守りなど、忘れられない。
エディーがとてもいい。
そして、輝かしい日々に混じる主人公ハドソンや作家ロジャーの、ときにふっと醒めた目、ひきずる孤独の深さ・・・
第一部だけで、もう読み終わりでもいい。
これだけで、本を閉じて、あとは余韻に酔っていたい。
そんな充足感を味わっていました。


第一部の夏の描写は素晴らしすぎました。美しすぎました。


第二部、第三部・・・第二次大戦下のトム・ハドソンの姿を追います。
彼は酒場でも、洋上でも、また敵を追い詰めた島でも、いつでも彼を愛する人々に囲まれていました。
決してひとりぼっちではいなかった。
「あんたって人は、自分に惚れてくれる人間のことは、何一つ分かりゃしねえ人だよ」と言われるほどに思われている・・・
けれども、皮肉なことに、この人脈が、第一部以降のハドソンの孤独をいっそう際立たせることになるのです。
仲間のなかにいて、仲間に慕われていながら、それを彼自身充分に承知していながら、
彼は冷たい孤独と闇のなかから抜けることができない。
務めて思いださないようにしている過去がある・・・


わたしは、思わないではいられない。振り返らないではいられない。
第一部ビミニの、あの輝かしい日々を。とびきりの幸福を。とびきりの愛情を。
そして、振り返るたびに、取り返しのつかない虚しさ、やるせなさに、身の置き所がなくなってしまう。


なんという残酷な物語構成だろう・・・あの第一部を冒頭をもってくるなんて。
第二部、第三部、と読み進むにつれて、どんどん苦々しい思いが極まっていくようで辛い。
物語は大きな起伏があるわけではありません。
戦中の非常時でさえも、あまりに静かで、どこかよそ事のように感じられる。
活劇場面でさえ。
人が死ぬ場面でさえ・・・
第一部の少年とカジキの一騎打ちほどの臨場感はありません。
だから、余計に思うのです。
現在生きてここにいる時間と、取り返すことの決してできない過去と、どちらがより現実的なのだろう。
自分はいったいどこに生きているのだろう。
  >義務、それを貴様は果たす。
絶えず「死」を意識しながら、「死」にとりつかれながら、生きるのは、生きることが義務だからだろうか。