マーティン・ドレスラーの夢

マーティン・ドレスラーの夢 (白水Uブックス)マーティン・ドレスラーの夢
スティーブン・ミルハウザー
柴田元幸 訳
白水Uブックス


19世紀末、マーティン・ドレスラーは、9歳で親の葉巻店の手伝いを始め、早くから商才を発揮します。
やがて、自分の勤めるホテルの中の小さな葉巻スタンドを買い取ったことを皮切りに、
レストラン、ホテル・・・次々に斬新なアイディアを打ち出し、成功を修めていきます。
でも、成功はマーティンにとってどうでもいいこと。
常に先へ先へと、より壮大な夢を描き、その夢は果てしなく、無限に広がっていくようでした。


マーティンの作る店やホテル、巨大な複合施設(いったい何と呼べばいいだろう)の、そのたぐいまれな様子を、
佇まいからウィンドウの中の小さな飾り付け、テーブルの上の塩入れまで、
こまかかく丁寧に描写している部分を読んでいると、まるで写真を見るよう、
いえ、その場にいて、マーティンの案内で施設内をそぞろ歩いているような気がしてきます。
まるで、文字で読む観光ツアーみたい。
精巧なからくり人形や、迷路のような地下のプロムナード、地上六階に出現する庭園や森など、
めくるめくような感覚にくらくらします。
マーティンは、小説の中で、実際に建物をたて、運営し、命を吹き込ませますが、
マーティンはミルハウザーの分身なのだ、と思います。
マーティンの建造物の、大部から細部までも、きっちりミルハウザーは設計し、それをとことん楽しんでいるように思いました。
次々出現する建造物、どんどん大がかりになっていく仕掛けは、究極のテーマパークみたいで、
それだけ取り上げれば、小説の中だけにしておくのはもったいないじゃないの、
実際に作れそうだし、しかもこんなの見たことない(実物をこの目で見てみたい!)と思いました。
それは、現実を模したまがいものなのですが、まがいものだからこその不思議な輝き、ときめきがあるのです。
ありえないくらい精巧で緻密で、美しく、いかがわしい「まがいもの」の傑作です。
明るくどこまでも広がる夢の世界(ディズニーランドみたいに?)のようでありながら、
あちこちに暗部を内包していて、それだからこその毒を盛り込んだ美しさと調和を見せる芸術・・・


ところで、マーティンがビジネス(?)の世界で大成功を収めるなかで、私生活はどうなんでしょう。
なぜ、彼はキャロリンと結婚したんだろう、とずっと不思議でした。決して満たされるわけがないのに。
これは失敗か? 
・・・いえ、違いますよね。
徐々にわかってきました。キャロリンがどういう存在であるか。
甘美なまどろみと少女の夢の中で、か細く生きているように見える彼女のもう少し奥のほうの複雑な陰影。
キャロリンって、マーティンがめざす建築物に似ているのではないか、ううん、マーティンの夢そのものではないか・・・
精巧な限りない美しさ、迷路のような謎、そして、かすかに感じる暗部、というより底知れぬ闇・・・
マーティンが作り上げようとしていたものを、キャロリンは全てその身に宿していたのでした。


それはやはり、ある種の芸術なのかもしれません。
深く入り込んだら大きな罠(自分でこしらえた罠)に嵌まり込むことを無意識に容認した芸術。
そして、思う存分に、どこまでも突き詰めていったら、
やがて、誰もついてこられない世界(作者本人にしかわからない極み)にいってしまうのかもしれません。
マーティンの夢は現実を超えました。キャロリンをも超えました。
そしたらどうなるのか・・・
やがて破たんするか・・・
ビジネスも結婚も。
でも、マーティンにとって、どちらも、譲歩を許すことのできない「芸術」だとしたら・・・
最終章のマーティンに圧倒されてしまいます。
そして、同じ道を歩いているかもしれないミルハウザーという作家の覚悟をもここに感じています。
妥協しないでどこまでもその夢を掘り下げていく、そうしないではいられない。
余人がついてこられるかどうかはあまり意味がない。たとえ、そのために破滅するとしても、なのでしょうね。