河童が覗いたヨーロッパ/インド/ニッポン

河童が覗いたヨーロッパ (講談社文庫) 河童が覗いたインド (講談社文庫) 河童が覗いたニッポン (講談社文庫) 河童が覗いたヨーロッパ


河童が覗いたインド


河童が覗いたニッポン
妹尾河童
講談社文庫


【河童が覗いたヨーロッパ】


これが河童さんの『覗いた』シリーズ第一弾。
文化庁による芸術家海外派遣研修の一人として、一年間ヨーロッパのあちこちを旅した記録とのこと。
もともと友人に送ったプライベートなイラストレターだったものを、まとめたものだそうです。
イラストはもちろん、文章の文字まですべて手書きで、手作り感がいいな。そして、旅の臨場感がいっぱい。
こんな旅の記録を描きながら旅をしてみたいなあ、と憧れてしまう。


寺院やお城の装飾的文様や、看板など、写真から起こせばあっというまだろうに、
実物を前に、ひとつひとつを見えるままにペン一本で写し取っていきます。
たとえば、ノートルダム寺院正面ドアの装飾金具の唐草模様のページには、こう書かれています。
「こんなふうに、一つ一つの線をたどり、描きとっていくと、まるで初めて出会ったような新鮮な驚きに何回かぶつかった・・・」
写真では見えないものを、著者は見ているんでしょう。
いきいきした躍動感もちがうんだろうな。何より、自分のために。
旅を振り返るとき、その絵からきっと、背景や出来事、空気の匂いや音などまで、鮮やかによみがえるにちがいない。


後半は、宿泊したホテルの部屋の俯瞰図と、そのホテルや周辺の街の思い出のメモが続くのですが、
いったい何十か所あるんだろう。
長い旅、広く歩いた旅の思い出が詰まっています。
場所、ホテルの名、そして料金、宿の人たちとの交流など・・・
これ40年前、そして、国が違うことなどを考慮しても、この料金の安さ! 
安宿を足でさがし、その屋根裏部屋やフロントの奥の部屋などですが・・・
えっと、一泊370円、なんてのまで・・・うそでしょ?と言いたい。
そして、さらっと部屋の俯瞰図を描いている河童さんに、
あるホテルのフロントの青年がおもしろがって「どうやって描くのか」と尋ねれば、
「誰もいないときに、部屋を飛び回っているのさ」と答えるお茶目さ。(ほんとに飛んでいるんですか、と聞きたい)


ヨーロッパと言っても広い。ひとまとめには何も言えないと。
各国各地方の民家の窓の比較がおもしろい。
南から北へ、山岳か平野か、日差しの強さなどなど・・・窓の大きさや、鎧戸の有無など、こんなに違う。
目的も違う(日差しを取り入れる窓・日差しを防ぐ窓、風を入れる窓・風を防ぐ窓・・・) 
文化って、生活なんだなあ。
同じコンセプトで、ロシアの拳銃とドイツの拳銃のデザインや機能を比べているのも興味深いです。
条件同じにして並べてみたのでは、その機能性は比べられない。
その拳銃が、どこのどういう土地のどういう気候のなかでつかわれるか、という話など、へえーと思ったのでした。
また、国際列車の車掌さんの制服やかばん、着こなし方にお国柄が表れるのですね。こうして、一挙に並べてみると。


この本を読みながら、思いだしました。
英語を解さず、「サンキュー」と「ソーリー」の二言だけを頼りに海外に出かけ、現地の人たちと交流し、
旅行を充分に楽しんできたご夫婦の話を。
海外に出ていくにあたって、その国の言葉ができるかどうかってことは、それほど大切なことではないのかもしれないですね。




【河童が覗いたインド】


もともとプライベートな私信のはずだった『ヨーロッパ』と違って、
こちらの本は最初から公表が目的のせいか、手書き文字は丁寧で細かく、イラストもより細密になっています。
読み応えのある旅行記でした。


ヨーロッパでは安宿ばかりに泊まっていた河童さん、こちらでは高級ホテルばかり。
これは、家族はじめまわりの人たちの心配を考慮して、
旅の前に、日本からすべてのホテルを予約してから出発したからだそうです。
ゴージャスなホテルに河童さんは照れまくっているよう。
おなじみの部屋の俯瞰図に付した言葉は、居心地良すぎることに、やけに居心地の悪さを感じている様子、
インドの庶民の暮らしとかけ離れた部屋を見回して「ゴメンナサイ」と謝ったり・・・
その照れ方がなんだか可愛いくて(?)、人々の中に入っていくことを旅の喜びにしている河童さんらしいと思いました。


一言でインドとは言えない、さまざまなインドの顔、あれもインドならこれもインド。
「インドは、全てにおいて一面的な国ではない!」と言う言葉につきるかも。


宗教、階級、14種類もの公用語、貧富の差・・・
たくさんの顔を持つインドの、なるべく庶民たちと交流を持とうと務め、
彼らと同じものを怪しげなものまで同じやり方で食べて、ひどい下痢に襲われたり、
それでも、自分はやっぱり旅行者でしかない、と自認する。
ガイドやリキシャ・タクシーの運転手と賃金交渉、
その明るいしたたかさに、河童さん流のしたたかさで対抗、それでいて友情のようなものまで生まれてしまう、
その人柄がすてきです。


たくさんの寺院や名跡にも度肝を抜かれ、あんなものをどーんと何世紀も地中に眠らせておくインドって何!と驚きますが、
でも、やっぱり街のようす、人々の暮らしを描いた箇所が好き。
絵も文章も、そちらのほうが冴えているように感じました。
好きなのは「カーンチープラム」「マハーバリプラム」近郊の「田んぼの中の路線バスストップ」のスケッチでした。
時間気にせず、地べたに座ってバスを待つ人たち。広々とした田園風景のただなかのバス停です。
荒井良二の絵本『バスにのって』を思い出す。トントンパットン、トンパットンと聞こえてきそうでした。




【河童が覗いたニッポン】


今度は日本だ〜。
でも、日本、といっても、河童さんが覗く日本は、すべて私の知らない日本ばかり。
たとえば、この表紙。ほら、例によって宿泊施設の俯瞰図、と思いました。
だけど、よーくみると、え? 独居房って書いてある? これ、刑務所の内部だったんです。
そんなふうに、京都の地下鉄工事(のほとんどは遺跡が埋まっているという、の現場)、
北海道を開拓した当時の政治犯が収監されていた集治監、裁判傍聴、皇居・・・などなど。
そして、そのどれもが、ただ物見高く覗く、というよりも、文化論になっているのです。
普段覗けない、ということは、閉ざされた世界で、独特の文化、慣習を持つ世界でもありました。
独特ではあるけれど、外の世界でとっくに消えてしまった日本らしさ・日本臭さが綿々と受け継がれ、
のこっていたりもするようにも感じました。
情報を公開しない、ということで守られてきたものもある半面、
閉じられた世界の中で理不尽に消されてしまったかもしれない声もあったわけです。
そして、外部の興味本位・無責任な憶測なども。
・・・とそんな感じなので、この本の河童さんの論調は、ヨーロッパやインドに比べると、かなり堅い感じでした。
思わず居住まい正したくなるような。だって、そういう場所ばかり覗いているのだから。
河童が覗いたニッポンは、わたしの暮らす場所と陸続きでありながら、まるで外国のようでもありました。