ブロデックの報告書

ブロデックの報告書ブロデックの報告書
フィリップ・クローデル
高橋啓 訳
みすず書房


寓話的物語とはいえ、元になる国や地方、時代、そして、事件など、ちゃんとわかるようになっている。
だけど、あえて、時代も地方も名前もぼかして(名前なんて、欧米の名前に弱い私でさえ明らかにへんてこだとわかる)、
事件や起こったことのあらましも変えて、歴史的に有名な残虐な事実が下地にあったとしても、さらに現実離れして、悪夢のよう。


そういう時代、そういう国の、山岳部のある村。まわりを森や峠に阻まれて近隣の村は遠く、閉鎖的な村です。
ある日、この村に長逗留していたひとりの「他所者」が殺されます。
殺したのは村の男たち全員。ただ一人、ブロデックを除いた全員。
彼は、この事件についての報告書を書くようにと、まわりの人たちに強要されるのです。なんのための報告書? 
この赦されざる行為が正当なことであったと、他者と自分とを納得させるための。

>罪人のなかで一人だけ無実であることは、つまるところ無実の人々のあいだでひとりだけ罪人であるのと同じだということを僕は突然理解した。
ブロデックはなぜ、村人全員が共犯のこの事件に関わらなかったのか(前もって知らされてさえいなかったのか)・・・
彼の物語は、時系列を無視し、あちらこちらに飛びながら、少しずつ事件の背景、そこに至るまでの道のりを描き出していく。
ただ沈黙するしかなかった他の罪、問い詰めることのできなかった責任、などなどが、少しずつ少しずつ明らかになっていくのです。


なんとも重苦しい。そして、重苦しいだけではなくて、ときどき、冷たい水をぶっかけられたようにぞっとする。
ブロデックの置かれた理不尽な立場に。孤独と恐怖の日々。
それでもブロテックが持ちこたえるのは、彼が一度死んでいるから。
戦争中の「強制収容所」で、徹底的に人間としての誇りも感情も殺されてしまったのでした。
奇跡的に生還したのでしたが・・・


この排他的な村。
ブロデックは、報告書、というより、半分は自伝であり、半分は村のありようについての彼なりの考察、のなかで、
他所者を排除することで危なげに均衡をとっている運命共同体のようすをあぶりだしていきます。
そして、こういう村の中で、殺された他所者が、いかに他所者であるか、
他所者であることがどんなに危険であるか、
そもそも「他所者」とは何なのか、あぶりだしていくのです。


他所者って何なんだろう。
他所者、といいながら、実はこの他所者は、自分を写す鏡なのではないでしょうか。
互いに、相手の醜さに目をつぶり、自分の醜さにも目をつぶり、馴れ合いのなかで平和を保ってきた村。
いきなり鏡を見せられることで、どうしても自分の醜さと対峙しないではいられなくなります。
そして、見ないふりをしてきた相手の醜さから、もう目をそらすこともできなくなってしまうのです。
そうなったら、恐慌をきたすのです。
他所者(アンデラー)は、静かな水面に落とされた小石のようでした。


一方、死ななければならなかった場所から生きて帰ってきたということで、ブロデックは、村の脅威なのでした。
肩寄せ合って戦争をやっと生き延びた人々にとっての脅威でした。
ブロデックは、報告書を書きながら、他所者がどんな人物で、どんなにこの村から浮いているかを書きながら・・・
気がついていく。
そうなのだ・・・
他所者って、ほかならぬブロデック自身のことだったのだ。
殺された他所者は、ブロデック自身だったのだ・・・そして、村人たちを写す鏡でもあった。
逆にみえるけれど、村人も他所者もブロデックも、もしかしたら一体なんじゃないか・・・
あの肖像画の陳列の恐ろしさ・・・ 絵はモデルを正確に写すと同時に、描き手をも写しているはずなのです。


そうして思うのです。
この村は、ヨーロッパのどこかに実在する村をモデルにしているように見えるけど、
一人の人間の心の中で起こったことを寓話の形を借りて記したんじゃないか。
心のなかに、すべての人物と風景と事件とがあり、これは心の内の葛藤の物語なんじゃないか、とも思うのですが・・・


ブロデックは、心の核です。
追い詰められ、「報告書」を書くことにより、
自分の心の深くまで降りて行きながら、
死んだはずの感情のひとつひとつを取り戻していくようでした。
人間としての尊厳を回復する旅です。
それは決して気持ちのいい旅ではなかったけれど。
人の心って不可解。恐ろしく不可解。
でも、それを丁寧にひもとき、目をそらさず向かいあう・・・


わからないところはたくさんあるのです。
でも、この物語が寓話である、ということに甘えて、思ったままのことを書いています。


物語の中では、神の存在を否定する言葉や描写がたくさん出てきます。
でも、それを鵜呑みにすることはできません。
だって、あちこちに、言葉もなくちりばめられた美しいものたち・・・
風景の牧歌的な美しさと、ことに、プップシェットとエメリアの無垢さが際立ちます。
神がいないなら、彼らの存在はなんなのでしょう。
ことにプップシェットの存在は・・・。
そして、「ときとして憎しみから美が、純潔が、優雅が生まれることもある」という言葉。
そうして、際立つのは、あの老いぼれ犬が、犬ではなく実は狐だと気がつく瞬間。
その優美な姿はファンファーレのよう。
ずっと「犬のブロデック」であった彼が、自分の本当の姿を取り戻した瞬間だと思うのです。
何もかも失った彼・・・ほんとうに何もかも失ったのでしょうか。
自分の本当の姿をとりもどした勝利の瞬間、と思いたいのです。
「僕はブロデック」という言葉で始まった物語は、やはり、「ブロデック、それが僕の名前だ・・・」と終わります。
でも、最初のブロデックと最後のブロデックは、ちがうブロデックになっていたのでした。


ほんとうは読みこなせてなんかいないのです。
・・・でも、このしんどい本をもう一度読む勇気はいまのところ、わたしにはないです。
(とはいいながら、読了後の今、ふと気がつくと、いつのまにかこの本のことを考えていたりもします)
高校生ゴンクール賞受賞作だそうで・・・フランスの高校生の読書力(?)すごい。
この本を読みこなせるってだけでわたしには脅威です。