すべての小さきもののために

すべての小さきもののために (Modern&Classic)すべての小さきもののために (Modern&Classic)
ウォーカー・ハミルトン
北代美和子 訳
河出書房新社


社会から、はみだした二人。サマーズさんとボビー。
小さい命を愛し、人のエゴによって断たれた小さな命を惜しむ美しいコーンウォールの森。

>ぼくはよく夢を見た。目を開けたままで、夢を見た。ときどき自分が見つめているちっぽけなものになったような気がした。ぼくはどういうふうにかして、ちっぽけなもののそばにいき、ぼくのまわりのなにもかもが大きくなる。ぼくはそのなかで迷子になり、でもこわくなるといつもまたもう一度ぼくに戻って、自分の顔の下のちっぽけなものを見ていた。

>カタツムリだよ、坊や! カタツムリだ! 船みたいだと思わないか? ふくれあがった大きな帆のように殻を運んでいく。角はどこか外国のガリオン船の舳先みたいだ。坊や、そう思わないか?」

・・・好きなフレーズです。ことに、這っているカタツムリに寄せる言葉は、詩みたいで、すごく素敵。
タツムリと帆船。なんて豊かなイマジネーションだろう。


だけど、この本のストーリーについては・・・実際戸惑いがあります。後半のあれ。
訳者あとがきに、そのことについては
「・・・このときのサマーズさんの行動にはちょっと不可解なものがあります。サマーズさんはなぜあのような無謀とも思える行動をとったのでしょう?(中略)――読者のみなさんはどうお考えになりますか?」
と書かれています。
わからないまま、さっさと考えるのを放棄してしまったのですが、この本から感じる不思議な平和がかけがえがなくて、
それだけに、あの無謀な不可解さに、背を向けたままでここにひたっていていいのかな、と妙にそわそわしてしまいます。


ボビーとサマーズさんの出会いの場からしてそうだった。
牝牛を見て「命」と呼ぶ彼。彼の感じる命は、ごく限られたもの。
彼が怒りと絶望から締め出したものは「命」とは呼ばない。命ないものを殺すことは、「殺す」とは言わないし、
いとも簡単にできることのように考えていたのかもしれない。そういうことだろうか?
おだやかで牧歌的な風景に寄せる思いと、紙一重の狂気・・・


サマーズさんの見る世界は極めて美しいけれど、その美しさは、どこかに暗さや危なさを隠しているような気がします。
そして、暗さを隠して輝く命は、ほんとうに美しいのだろうか。
この美しさはどこか危なっかしくて、いいのかなと不安になってしまいます。
奇妙な読後感です。後味は悪くないはずなのに、この引っ掛かりが気になって・・・