シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々

シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々
ジェレミー・マーサー
市川恵里 訳
河出書房新社


この本のタイトルから思い浮かべたのはヘミングウェイの『移動祝祭日』に出てきた書店兼図書室、
錚々たる文豪たちの若き日のたまり場でもあったシルヴィア・ビーチのシェイクスピア書店。その物語かな、と思った。
少しだけあたりで、少しだけはずれました。
現在(と言っても、この本のころは10年も前か)のシェイクスピア&カンパニー書店の店主はジョージ・ホイットマンという86歳。
シルヴィア・ビーチのシェイクスピア書店に心酔(娘にシルヴィア・ビーチと名をつけるほど)、
パリ・セーヌ河畔に書店を開き、文学への愛、作家に対する支援の精神とともに、この名を引き継いだのでした。
しかも、シルヴィア・ビーチのシェイクスピア書店よりもはるかにパワーアップし破天荒になっている!


この本の著者マーサーは、カナダの事件記者でしたが、
ある事件に巻き込まれ、命からがら国外逃亡、パリにやってきたものの、
職もなく、金もつきかけたころ、偶然シェイクスピア&カンパニー書店にたどりついた、とまるで小説のような始まり。
さらに、初めてやってきたこの書店のなんだか怪しげで魅力的な雰囲気に引き寄せられれば、
書店なのに、突然、二階のお茶会に招待される。
そのお茶会の奇妙さ、そこに集う人達の怪しさ。思い浮かべるのは、アリスの三月うさぎのお茶会。
いや、なんと不思議な本でしょう。


そもそも、シェイクスピア&カンパニーという書店が、その店主ジョージ・ホイットマンという人が、
他に類をみないほど変わっていて、どう変わっているかという説明だけで充分読み応えのある本になるというもの。
一言で説明するのは難しい。この本のなかに怪しい魅力満載に語られるそれらをどう要約しようか。
とりあえず、訳者あとがきの抜粋を・・・

>だが、この店はただの本屋ではなかった。書棚の間に狭苦しいベッドが点在し、ほかに行くところのない貧しい物書きや旅の若者が無料で泊まれる「流れ者ホテル」も兼ねていたのである。筋金入りののコミュニストにしてロマンティックな理想主義者であるホイットマンは、「見知らぬ人に冷たくするな、変装した天使かもしれないから」というモットーとともに、開店当初から半世紀にわたり、行き場のない人々を受け入れ、宿と食事を提供してきた。それはホイットマンに言わせれば「書店を装った社会主義ユートピア」であり、一種の文学的コミューンでもあった。
こんな本屋があるということにまずびっくりですが、このユートピアに集う人々がまた一癖も二癖もあろうかという連中なのです。
それぞれに夢を持って(あるいは背に腹を変えられず)パリに流れ着き、
食い潰れてこの避難所に逃げ込んだ若者たちの青春記でもあるのです。
ジョージ・ホイットマンという人のずぼらでずさんな経営体制。
極端すぎるほどけちけち精神(油でべたべたのビニール袋ひとつでも捨てることを怒ったり)を発揮するかと思えば、
何百フランもの札束を本棚の間に隠したまま忘れるため、その金を求めて店をうろつく怪しい連中があとをたたない。
高価な本を万引きされてもなぜか嬉しそうだったり。そして、あの台所の、背筋が冷たくなるような不潔ぶり。
しかし、この店への愛の深さ。人を見る目の温かさ。無条件の信頼。
ここに集う人々は、ジョージを愛さずにはいられない、そして、この店を自分の店と思うほどに愛さずにはいられなくなる。
その欠点も美点もそっくりまとめて。
ジョージ・ホイットマンは、この書店そのものだから。
書店の佇まいや、その雰囲気、日常、すべてに対する驚きに慣れてくると、この店に出会った人々への羨望でいっぱいになります。
どんなに貧しくどんなにみじめな日々があったとしても、
この書店に流れ着き、ここで過ごした思い出を持ったことは、素晴らしい宝物、と思えるから。


実はこの『優しき日々』は、大変な日々なのです。
ここに集う者たちは、だれもみなある意味、日陰者なのです。それを本人が一番よく知っている。
後ろ暗さも、ままならない人生のいら立ちも抱えている。それを共有するからこそのつながりもあり、友情がある。
彼らに共通するのは、だれもみなここでは他所者で旅人であるということと、ここは、束の間の居場所だということ。
そして、彼らをつなぐもの、彼らとこの書店(ジョージ・ホイットマン)とをつなぐもの、
それが「本」というものだ、ということなのです。
自分は決してこの場にはなじめないのを知っているけれど、
この書店が今もあることを知ったことが、すごく嬉しくて、わくわくしてしまう。


セーヌ河べりの朗読会。
安カフェのカウンター。
そして、ジョージの居間のパンケーキ。
大なべで沸かすお茶。図書室の本たち。
店には足の踏み場もないほどの本たち。
カウンターに立つのはそれぞれにこの書店との間に「物語」を持った若者たち。
三階の窓から見えるのはノートルダム寺院・・・


最初から束の間の仮の宿として、ここへ来た。
そして、仮の宿でありながら、そのひとときをかけがえのないものとして愛した。
ここを出ていくものたちは、喜んで出ていくだろう。
二度とここにもどることはないだろう。できないだろう。
だけど、落ちてきそうな本に囲まれた小さなベッドや、そこに集ったものたちのことを決して忘れることはないだろう。
今もこの書店はジョージ・ホイットマンの娘シルビアに引き継がれ、健在。
そして、ジョージ・ホイットマン自身も健在、とのこと。
表紙の絵を見ながら思う。行ってみたいなあ。
せめて、ここで本を買い、買った本に店のスタンプを押してもらいたいなあ。


↓こういう写真があることを教えてもらいました。(ありがとうございました)
本には、写真は一枚も収録されていないのに、この写真を見たとき、すぐ「ああ、これぞシェイクスピア&カンパニー書店!」と懐かしささえ感じました。それほどに本から感じたイメージそのままの写真だったんです。そして、本の文章がこの書店のイメージをどんなに確かに伝えているかということも知ったのでした。
1999年のホイットマンさんだそうです
シェイクスピア&カンパニー書店のたくさんの写真