ジョゼと虎と魚たち

ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)
田辺聖子
角川文庫


なんの気もなく暮らしている。
特に不幸とか幸福とか、将来のこととか、深く考えもせず、昨日の続きの今日を、まあ、惰性のように過ごしているのかもしれない。
あるとき、そんな自分の気持ちの端っこに、小さな蓋があるのに気がつく。おや、これは何だろう。
いや、たぶん、最初からそこにそれがあるのを知っていたのかもしれない。
そして、気がついた瞬間に「あ、しまった、みつけてしまった」と思うのかもしれない。
その蓋が開く。
その向こうにあるものをみてしまったとき、もう、安穏としてはいられなくなってしまう。
たぶん、表向き、いままでどおりに暮らしていくんだけど。
そんな蓋を開く瞬間の小さな物語、といえるのじゃないかな。この8つの短編は。


気持ちがいいわけじゃない。だけど、ああ、わかるかも・・・なんとなく、と思ったりして。
で、わかる、、と思った瞬間、とっても居心地が悪くなる。
そんなこと知りたいわけじゃなかったのに。
自分の生活がなんというアンバランスな土台の上にのっかっているのか、と知る。
この生活が、あっというまに壊れてしまうことも知る。
だけど、主人公たち。
ここでたぶんめげないのだ。きっと。ふん、と思う。開き直って、だから何?と思うのだ。
だって、自分自身はずっと変わらない、それだけは確かなのだ。
主人公はみんな女。そして、必ず男が出てくる物語。
その男がなんだかみんな今一つ意気地がない、というか、女の強さ、おおらかさを引き立てている。


表題作「ジョゼと虎と魚たち」が一番よかった。
ジョゼは「結局のところ不明のまま『脳性麻痺』で片付けられてもう二十五歳になる」女性である。
車いすの生活、不幸(なはず)な少女期、
だけど、この話、障碍のある女性の物語というのとはちょっと違うのかもしれない、と思う。
ジョゼの生きにくさは、もしかしたら、もっと普遍的なもの。
だれもが違う場面でジョゼと同じように感じているのではないか。
プライド高く、高飛車な彼女。
「ジョゼのいうことは嘘というより願望で、夢で、それは現実とは別の次元で、厳然とジョゼには存在しているのだ。」
という言葉にこもるせつなさ。
だけど、あっぱれジョゼ、と思うのは、彼女は最初から、自分の生活の不安定さを知っている。
いつでもどこでも簡単に崩れ去りうるものだと知っている。覚悟している。
彼女のあっけらかんとした生活は、覚悟の上のもの。
さらには、「完全無欠な幸福は死」だという。
生活のなかの小さな死を、そしていつかくるはずの大きな死を明るく澄んだ目でみつめながらの日々は実は結構壮絶なものだと思う。