犬は勘定に入れません (あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎)

犬は勘定に入れません…あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎犬は勘定に入れません…あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎
コニー・ウィリス
大森望 訳
早川書房


ジェローム・K・ジェロームの「ボートの三人の男(犬は勘定に入れません)」は、テムズ川を上り下りする男たちのすったもんだの物語ですが、
こちらは、川は川でも時間という川を上り下りする物語です。
いきなり主人公はタイムラグ(タイムトラベラーが時間を何度も超えると起こす一種の乗り物酔いのような現象らしいです)。
そして、読んでいるわたしも状況がまったくわからずタイムラグ状態でした。

この本が時をさかのぼるSFなのだ、ということ。
主人公ネッドが身を置く2057年、オックスフォード大学の研究者たちが、パトロンの女傑に踊らされつつ、
何か過去の遺物(あるべき時代あるべき場所にない)を探しているらしいこと。
何かの原因で、時間超えに不具合(ずれ・齟齬)が生じていること。それを正さなければならないこと。
・・・などなどがわかってくるのと、主人公がタイムラグ状態から立ち直っていくのと、ほぼいっしょでした。


渡った先が1888年ヴィクトリア時代のオックスフォード周辺、テムズ川沿岸、舞台・情景がなんとも魅力的。
出てくる人たちがおかしくも愛すべき人たちで。
テニスンの引用がお気に入りの大学生、釣りキチ・自己チュウの大学教授、だれかさんの御先祖ならまさにの奥方、ひらひらフリル大好きなお嬢様、腕利きの古今の執事たち、そして、2057年組の名コンビ。)
主人公たちが「齟齬」を正そうと右往左往するほどにどんどんドツボにはまっていく展開が楽しくて。
これだけ入り組んでこぶこぶ状態になった糸をどうやってほどき、回収するのか、と気になるし。
待ち人の正体はいかに、ということも、探し物の行方はいかに、ということも、からみあって、気になって、
しかもユーモアいっぱい文章にはちっとも緊張感がなくて、
ゆるく笑いながら、この長い物語。退屈知らずで最後の一ページまで楽しめました。


正直、時間旅行に関わる齟齬やずれ、自主回復などの理屈は、ほとんど理解できていません。
それでも、それなりにストーリーは理解できるし、そもそもの発端や、事情も知らされず二度と会うことのないだろうあの人のこと、
これから先(ああ、ネッドくんあわれ)のことも、すんなりと胸に落ちるのでした。大丈夫。
まさかの展開、と思いきや、案外この時代の物語(アガサ・クリスティとか)ツウなら、この展開はお約束でしょ、
ちゃんと伏線拾っていればわかるでしょ、
とばかりの論調にむーむーむー。
(P・G・ウッドハウスの「ジーヴス」シリーズを絶対読むぞ、と強く誓うのであった)
そして、なんというデリケートな旅だろう、
そして、時間軸(神の目か?)による、壮大にして、些細な修復作業に気が遠くなりそう。
まさに「神は細部に宿る」(これは巻頭の言葉)ということを実感したのでした。


タイムトラベル物、というより、やっぱり川を上り下りする物語、ミステリ仕立て、ユーモア仕立て、というところ。
しかも、テムズ川上では、ボート遊びするジェローム・K・ジェロームの三人男と遭遇してしまうというサービスつきでした。
おもしろかった。