くじらの歌

くじらの歌くじらの歌
ウーリー・オルレブ
母袋夏生 訳
岩波書店



ミハエルのおじいさんには特別の才能があって、自分の見る夢のなかへミハエルをつれていってくれます。
くじらの歌、自転車で空を飛ぶこと、夢を修理すること・・・幻想的で、美しいたくさんの場面。
だけど、これは、ほんわかとしたファンタジーではありません。
夢は美しいばかりではなく、恐ろしいものも不気味なものもありました。
それまで遠く離れて暮らしていたおじいさんと一緒に暮らすことになった理由も、おじいさんの生活の事情も、ミハエルには、明かされていない複雑な事情があるようです。
それらの事情を皆まで説明しないけれど、大人の読者なら、すぐわかること。
ミハエルは聞きかじった言葉などから、うっすらと、その事情を彼なりに理解し、
(納得できるできないということは保留にしたまま)ひとまず受け止めます。


生きていくことの裏表。きれいごとだけではすまない暗い部分。人は複雑なもの。
どんなに優しい人でも、どんなに愛する人でも、それだけでは済まない何かを持っている。
持っていることを受け入れてこそ、全うな人なのでしょう。
でも、こういうことを子どもに伝えるのは勇気がいります。
もしかしたら、伝える、ということさえ、控えてしまうかもしれない。
ううん、一人前の大人でありながらも、自分のことさえ、見たくない、と顔をそむけるかもしれない。
それが見えないふりをするかもしれない。
それをこの本は、見せてしまいます。「子どもに、ここまで見せてしまうのか」と思うほど。
作者が、ホロコーストを生き延びたイスラエルの人である、ということが関係あるのだろうか、とも思いました。


人の暗い部分、不気味な部分に、顔をそむけることなく向き合わせながら、それでも、なおこの本は幻想的で美しい。
不気味な暗がりがあればこそ、その対極のように広がる静かで平和な夢は限りなく優しく感じます。


ミハエルは同年代の友達がいませんでした。
そのことを母親は心配します。たぶん、わたしがこの子の母だったら、やっぱり気にしたでしょう。
でも、ミハエルには友達がいないわけではなかったのです。
狭い価値観から、子どもが自分の思い描く幸せから外れていることを気に病むと、子どもの本当の今が見えなくなるかもしれません。
ミハエルが、友達に送る短い手紙、友達からの短い手紙、その行間にあふれる温かい心の通い合いに、打たれます。


子どもはどう感じるのか、大人はどう感じるのか。
歳を重ねるごとに、この本はどんなふうに見えてくるのか。
年齢とともに、受け取るものが変わっていく本だと思います。
そして、それが楽しみな本だと思います。