愛の続き

愛の続き (新潮クレスト・ブックス)愛の続き
イアン・マキューアン
小山太一 訳
新潮クレスト・ブックス


発端は、主人公が恋人とピクニックに行った草原で、気球の落下事故に遭遇したこと。
気球のバスケットに乗った少年を助けようと駆け付けた人々は、気球のロープにつかまったまま、流される。
結果としては、少年は助かるのですが、
ばらばらな寄り集まりでチームワークも何もなかったために、助けに来た人たちの中の一人が亡くなるのです。
この事故のショックから立ち直れない主人公は、突然、このとき、いっしょに助けに集まった人々の中の一人の青年に、愛の告白を受ける。
この青年は、相手が自分を愛しているという妄想にとりつかれていたのです。
ド・クレランボー症候群という名前が出てきました。
彼は、主人公を追いまわし、あなたの気持ちはわかっている、といい、
あなたは絶えず自分に合図をおくり、メッセージを送り、なのになぜ自分をじらすのか、と迫ります。
あとをつける、待ち伏せする、深夜の電話、手紙・・・
これがすごく怖いのです。
しかも、恋人も、警察も、まったくこの怖さをわかってくれない。
それどころか、青年の存在自体を疑い、妄想に取りつかれているのは主人公のほうではないか、と疑うのです。
冷静な恋人の話を読んでいるうちに、読者である私も、何がなんだかわからなくなってきます。
ほんとに、こんな青年はいるのかどうなのかわからなくなってくるのです。
そして、主人公は徐々に追い詰められていきます。


タイトルは『愛の続き』
主人公ジョーの恋人への愛。恋人クラリッサのジョーへの愛。そして、妄想症の青年パリーの愛という名の狂気。
さらに、そもそもの始まりの気球事故で亡くなった勇気ある男性、家庭では良き夫であり良き父であった彼の、
亡くなる直前に乗っていた車の助手席には、妻のものではない女性のスカーフとピクニックバスケットが残されていたのでした。


こうして、三つの愛に、ひとつの愛の不信がよりあわされた、恐ろしい狂想曲になっていきます。
愛っていったいなんだろう。
この輝かしく美しい言葉の意味が、実はかなり曖昧で、狂気と妄想と紙一重であることにぞっとするのです。
狂気の青年にストーキングされることの恐ろしさに、まず、この本、私はだめだ、とへこたれそうになってしまうのですが、
読み進めるにしたがって、ほんとに怖いのはこの愛の不確かさのように思えてくること。
輝かしく美しいものと信じて疑わなかったものが、実はぽっかりと大きく空いた深い穴だと気が付いていく怖さにたじろぎます。

さんざん翻弄されたあとで、ふいに差し出された希望にはっとします。
思えばこれは、目に見えなかっただけで(巧妙に読者にも隠されていました)、最初から最後まで変わらない形でずっとあったもの。
この明るさに出会うために、ここまで読んでよかった、と思ったのでした。