月曜日に来たふしぎな子

月曜日に来たふしぎな子 (岩波少年文庫 (104))月曜日に来たふしぎな子
ジェイムズ・リーブズ
神宮輝夫 訳
岩波少年文庫


アーディゾーニの絵が素敵で、
表紙の大きな本の世界を覗く子どもたちの姿にも、これからお話が始まるわくわくした気持ちがいっぱい詰まっています。
おはなし6つ。
ほとんどのお話から、知っている昔話を思い描くのですが、よく知っているように見えるお話は、新しいお話になって終わります。
それは、不思議で、きっと深い意味を持っている。
と思わなくても、とにかくおもしろかった、と幸せな気持ちで読み終えることができるのです。


「月曜日に来たふしぎな子」は、パン屋さん一家にやってきたとんでもない「悪い子」のお話です。
一家はめちゃめちゃひっかきまわされます。今まできちんとしていたことが何一つうまくいかなくなってしまうのです・・・
また、「11羽の白い鳩」は、のんびりした谷間王国の物語。
この国の人たちは、だれも金持ちになりたいとは思わないから、ちっとも勤勉に働かないし、勉強もしない。
人々は遊べるだけ遊んで暮らしているのです。
王様ものんびりしたもので、書類のサインさえ人任せ。そんな国の将来を危ぶんで革命が起こりますが・・・


どちらのお話からも、理想的な暮らしってなんだか物足りない、と気づきます。
だらしがないことも思わず目をそむけたくなることも、少しはないと、やっぱり淋しいものだと感じるのかもしれません。
四角四面は苦しいです。
完璧じゃなくて、少しだけいびつなほうが味があるのかもしれないですね。


完璧じゃない、といえば、「おばあさんと四つの音」
ごとごと鳴る窓、ぎーぎーいう床板・・・完璧どころじゃないおばあさんの小さな家。
でも、この家の居心地のよさったら。おばあさんの暮らしの豊かさに、とてもくつろいだ気持ちになるのです。
どんなにこの住まいを大切にしていることか。
傷んだものも傷んでいないものもまとめて、ありのままのこの住まいを愛する暮らしがすてきで、おばあさんが羨ましくさえなります。
このお話が一番好きです。


音といえば、「フーの花瓶」
奥深い物語です。
何が幸いするかわからないのですが、どう見てもでこぼこの半端ものにしか見えないそれの中に、
作り手さえも気がつかない素晴らしいものが眠っている、ということに、目を瞠る思いです。


エルフィンストーンの石工」はトム・ティット・トットを下敷きにした物語です。
名前の話が出たところで、先は読めるわけです。
だけど、わあ、そうきましたか、という感じがおまけにつくのがおもしろいです。
少し前に「すみ鬼にげた」を読み、唐招提寺の四つのすみ鬼の存在を知ったのですが、
この話にでてきたのも教会をささえるすみ鬼ならぬガーゴイル
大陸をはさんで東と西の端の島国によく似た慣わし(?)があることのふしぎ、
大陸をまたいでゆっくりと伝わってきた文化を思ってしみじみ。


「水兵ランビローとブリタニア」は、なぜ、こういう結末になったのでしょう。
これがハッピーエンドなのでしょうか。
でも生涯愛する人を目の前にして、互いに手をとることさえできないのが、なんとも淋しく感じました。


どのお話からも、型にはまったきちんとした形をほんの少し壊すことで、広がる世界や深まる喜びなどが描かれているようです。
また、価値観ってなんだろう、とも思いました。
絶対的な価値観なんて当てにならないし、もっと柔らかい気持ちになれたら、もっといろいろなものが見えるんじゃないか、と思い、
そう思っただけで、ふわっと心が軽くなる心地です。

楽しかった!