大いなる遺産(上下)

大いなる遺産 (上巻) (新潮文庫)大いなる遺産 (下巻) (新潮文庫) 大いなる遺産 (上巻)

大いなる遺産 (下巻)
チャールズ・ディケンズ
山西英一 訳
新潮文庫


読み始めたばかりの頃は、一体この本、読み終えることができるのだろうか、と思いました。
あまりに丁寧でゆっくりな場面運びに、まどろっこしくさえ感じ・・・
かといって、思わぬところに伏線が潜んでいそうで、読み飛ばすこともできず・・・
ついうとうとし始めたところで、ころっと物語が動くので、はっとして慌ててページをもどって読み直し・・・
このリズムに慣れて、おもしろくなってきたのは、主人公ピップが莫大な遺産の相続人になる、と知ったところからでした。


紳士になりたい、というピップの願い。
幸薄い子ども時代、まともなしつけも教育もされず、まだ自も他も区別がつかず、価値観なども何ひとつ確立していない頃、
いきなり何の前触れもなく、ミス・ハヴィシャムの屋敷のような、想像したこともないような生活を垣間見てしまったら、
勘違いするのも無理は無いと思います。
そして、あの妖しげな遺産をあっさり、何の疑いも持たずに受け入れてしまったのは、そういうわけだったのだ、と思うと、
やはり、これも無理は無いと思うのです。
そして、どんどん「忘恩の徒」と成り下がっていくのも、やっぱり当然の結果だと思う。


たくさんの個性豊かな(豊か過ぎる)登場人物。
なかでも印象が強烈なのがミス・ハヴィシャムでした。
若い日に人生を絶望するほどの裏切りにあったため、捻じ曲がり、罪もない他人の人生まで曲げてしまったこと、
でも、自分のしたことがめぐりめぐって結局は自分に返ってくることなど・・・運命の皮肉を思わないではいられません。
そして、そうせずにいられなかった彼女の苦しみの深さに、やりきれない思いです。
喰えない男ジャガース、
素敵なウェミック(結婚式の場面、大好き!)、
気のいいハーバート(最初は誤解しました、ごめんね)、
俗物そのもののバンブルチュック、
そして、いつもいつもゆるがないジョーとビディ(ああ、ジョー)。
いったいどんな生き方が理想なんだろう、と思うときに、この本のたくさんの人々の、いったい誰の顔が思い浮かぶだろう。


ピップもエステラも、だれかの道具にされてしまった。だれかの目を楽しませ、心を慰めるための。
ただ、ピップは、物心ついてから、彼のことを無私の心で深く愛してくれるただひとりの人の見守りがあったことに救われます。
エステラの育った日々の暗さを思うと、たまりません。


ずうっと前に、どこで読んだ(聞いた)問いかけだっただろうか。昔話のなかだっただろうか。
誰にでも愛されるようになるが、誰をも愛することができないように育つことと、
誰からも愛されないが、たくさん愛することができるように育つことと、
どちらを選ぶか?
この問いかけが何度も思い出されました。