わたしの赤い自転車

わたしの赤い自転車 (柏艪舎文芸シリーズ)わたしの赤い自転車 (柏艪舎文芸シリーズ)
アデレ・グリセンディ
菅谷誠 訳
柏艪舎


イタリア、パルマ近郊の農家で生まれ育った作者の回想録。
今から50年も前、高度経済成長期直前のイタリアの田舎の暮らしを四季を通じて語ります。
四季ごとにまとまっていますが、短い章立て、目次もなくて、どこから読んでもよさそうな感じ。


豊かな自然、大家族、収穫の活気、おいしそうな田舎料理。
厳格な家長制度。陰険な暴君だった祖父。農家の生徒を差別する中学校の女性教師。
過酷な労働のあとのわずかばかりの娯楽の楽しみ。吝嗇な家長のもとでの、本当にささやかな贅沢の輝かしさ。
迷信と信仰。大人になっていくことの喜びと不快。


印象に残るのは、ダウン症のおじのことです。
大家族のなかで、「彼はわたしたちの存在の一部」であり、「ごくふつうの人として接し」「ほかの兄姉の誰にも負けず幸せだった」・・・
ハンデがあるなしに関わらず、それがその人の普通である、ということを無理なく、肩肘張らず、ありのままに受け入れている。
本人も、家族も。大家族の凄みを感じる文章でした。
単純に「昔はよかった」というつもりはないのです。
ただ、何よりも「誰にも負けず幸せだった」という言葉。当たり前のことだけど、
どんな境遇であれ、誰もが、普通に、無理なく、生涯、「誰にも負けず幸せ」だと感じられる生き方を追及できるのですよね。


この本は、私たちが高度経済成長とともに失ったものを懐かしむ物語ではない、と思います。
発展するということは、きっとある部分が良くなる一方で、ある部分では取り返しのつかない失くし物をすることでもあるのかもしれません。
わたしたちは、過去に立ち返ることはできないし、そうしたいわけでもないのです。
失ってよかったものも、失って悲しいものも、どちらでもないものも・・・
すべて今生きている自分を形づくっているものなのだと再確認します。
そして、現在、ここにいる自分の生き方をまずまずこれでいい、と思えるなら、
振り返ってみた光景、自分を形作ってくれたそれらは、あれこれの間違いがあったとしても、
美しいもの、懐かしいものとして、幸福な思いをもって振り返ることができるのではないでしょうか。