博物館の裏庭で

博物館の裏庭で (新潮クレスト・ブックス)博物館の裏庭で
ケイト・アトキンソン
小野寺健
新潮クレスト・ブックス


「あたしは存在している!」という一文から始まる物語。
あたし、こと、ルビー・レノックス。この物語の語り手。
ある一家(というより女たち)の物語のほぼ末端に位置する者。
いきなりの冒頭の一文は、母の胎内に宿った瞬間のルビーの存在表明です。
こんなに逞しく生命を感じさせる書き出しに肝を抜かれます。
このまま最後まで力強く物語を引っぱり続ける。
とはいえ、まっすぐ進むのではなく、語り手の思うままにあっちにこっちに極端に曲がりながら。


自分が命として子宮に宿ったときから語り始め、
自分を中心に、家族の歴史を語り、
二つの大戦をはさんだ曾祖母の時代にさかのぼり、傍系の一族のだれかれの物語が渦のようにぐるぐるまわりながら、流れていく。


普通の庶民です。凄く貧しくはないけど、裕福ではない。
ロマンチックなあこがれや甘い言葉などもあったにはあったけれど、ほんの一時。まるで夢。
夢はあっという間に醒める。残るのは苦い後味と厳しい現実。
ああ、夢やカスミを食って生きてはいけないのだ。
どの時代の人間たちも(ことに女たちは)踏みつけられ、苦い思いをたっぷり味わいながら、自分の人生を見事に生ききっていきます。
その姿はかわいげがなく、むしろ滑稽。語り手ルビーの言葉で語られる一族の歴史は・・・
なにがあったかといえば、歴史的な大きなことは何もない。きっとその時代その時代、どこのどんな家族にも起こりえただろうこと。
ひたすらに生きてすったもんだの末に死んでいく、それだけ。
ただ生きることに限りなく貪欲。なりふり構わず。
その貪欲さは、端からみればほんとに滑稽だし、かっこわるい。
かっこわるさが、愛しい。
かわいげのなさが愛しい。
この愛しさは、彼らのかっこわるい人生のなかに、生きることの悲しみが透けて見えるから。
彼らは、なんてたくさんの大切なものを失ってきたのだろう。
失うことに耐えてきたのだろう。

>私にはもっと違う人生があったはずなのに!
そういいながら、その人生に思い切りしがみついてしぶとく生きる。
>「ただ幸せになりたいだけかな」・・・さまざまな野心のなかでも、これほど法外な気がするものはない。
どの家族にもきっとミステリがあるにちがいない。
それは、小さな銀のロケット、祖母の時計、小さなボタン、色あせた写真など・・・
引き出しの片隅、床板の隙間、などなどに挟まって、そのまま忘れられていったもの・・・
それらは、家族のだれかれの眼から逃れたミステリの目撃者。
それら自身が大きな物語をもちながら、静かに黙っている。
もしかたら永遠に語られなかったかもしれない物語を。