白い牙

白い牙 (新潮文庫 (ロ-3-1))白い牙
ジャック・ロンドン
白石佑光 訳
新潮文庫


一番最初の章。
氷の世界で、老練な牝が率いる狼の群れに追われ、囲まれ、
日々、じわじわと包囲を狭められていく男の静かで怖ろしい戦い。
そのハードボイルドで緊迫した場面を読みながら、
思い出すのは、昨年読んだジャック・ロンドンの短編集『火を熾す』でした。
この章だけ抜き出して短編として読んでも、ぴしっと引き締まったすごい物語だと思います。
これが序章みたいなもので、ぴんと張り詰めていた緊張がするっと解けて、気が抜けたようになったところで、ゆっくりと物語が始まります。
この牝狼の子どもの物語が。


アラスカの原野。ぎりぎりまで待つ執念、忍耐、狡猾さ、残忍さなど。
文明の世界とはかけ離れた法則が支配する野生の世界で、生き抜くための本当の賢さ。
食うか、食われるか。ただ「生き残る」というそれだけのために戦うことは、残忍で容赦がないけれど、
単純で、いっそ潔いのです。そして尊いとさえ思うのです。
それは命というものに捧げられた戦いだからです。


四分の一だけ犬の血が混じった狼の子ホワイト・ファング(白い牙)は、野性の中で生まれ、
その後、人間の中で育ちます。
三種類の全くタイプの違う人間を主人として、全く違う扱いを受けます。
思ったのは、動物も人も一緒かもしれない、いうこと。育てられたように育つのだ、ということです。
ひどく扱えば、残忍に育つ。打ちのめされれば服従するけれど、憎しみが育つ。狡猾にもなる。
正当な扱いを受ければ、扱いに応じた働きをしようと思う。
愛されれば、やがて愛するようになる。


野生の世界の厳しさよりも、人間のほうが残忍なんじゃないか、と思わせられるような育ちかたをし、
その力と俊敏さ、知恵により、「けんか狼」と周囲を震撼とさせた一匹狼ホワイト・ファング。
光を知らず、闇のなかに傲然と頭をそびやかして立っている彼の姿はかっこいいけど、あまりに痛々しい。
(という感傷も一瞬にねじ伏せられそう)


憎むことにより生かされるのか、愛することにより生かされるのか。
狼の物語ですが、人の子の物語のようにも感じました。そう感じたからこの結末が納得できるのです。
(最後の章題、まさかと思ったけど)
孤高でなくていい。かっこ悪くていい、と思う。
迷いや後退。愛があるから生まれる弱さは、慕わしいものじゃないか。愛おしいものじゃないか。