われらをめぐる海

われらをめぐる海 (ハヤカワ文庫 NF (5))われらをめぐる海
レイチェル・カーソン
日下実男 訳
ハヤカワ文庫


バージニア・リー・バートンの美しい科学絵本『せいめいのれきし』を思い出していました。
私たちをめぐる海の歴史を語るなら、地球の歴史を語ることでもあり、生命の歴史を語ることでもあり、
それは、果てしなく壮大で、とても静かな叙事詩なのです。


長い悠久の歴史は、本当に静か。音のない世界で何かが生まれて、栄え、滅びていく。
そして、やはり音もなく降り積もるもの・・・
進化の過程のなかで淘汰されていくもの。
嘗てここに君臨した生き物も、分別はないけど力のある輩によって滅ぼされていく。

>美しきものは消え、帰ることなし
そして、水の広がりの、ずっと奥深くに連なる山々、深い谷底。
海底の世界の地図の話は、わたしたちには想像もつかないおとぎの帝国のように感じました。
そこでは私たちの決して知ることのない物語が展開されているのでしょう。
>海図に記されている海面下の山々のなかには、この瞬間にも、人知れず海底に生成されつつあって、そうして表面を目ざして上へ上へと発達しつつある、明日の島もあることだろう。
そして、その山々のはるか上空(上海)には、海流がある。地球をあまねく旅する海水・・・
潮の干満も海流も、海が月の影響を受けているためだ、ということに、
無言で月と目配せし、交信し続ける途方もなく巨大で長寿な生き物のような海を思い浮かべています。
ほんとうに海は生きている・・・
これらもまた、もう一つの叙事詩です。


この本を読み終えるまでにずいぶん時間がかかりました。
正直に言えば、ぼんやり読んでいると、内容が頭に入ってこなくて、はっとして、何度も何度も読み返したページ数はなんとたくさん。
わたしはつくづく論理的な文章が苦手なんだなあと情けなく思いました。
それでもときどき、言葉の美しいイメージに夢中になってのめりこむように読んでいることも何度もありました。
そして、やっぱりこの本が好きなのです。この本は本当に美しいと思います。
むしろ、わたしは、自然科学の本を読んだ、という実感がないのです。
地球の美しい物語を、オムニバス形式の長編を読んだ、という気持ち。
こんな読み方になってしまうのは、なんとも申し訳ないのですが。
科学者と詩人って似ていると思う。
真実を見据え追求しようという姿勢が。
そういう姿勢がそのまま詩なのだ、と思います。


ことに6章『永い雪降り』は、最初から最後までほんとうに美しくて大好きです。
海と陸とに、層を重ねて何十億年にもわたって続いてきた「堆積」を語る文章です。

>音もなく、終わりもなく、完成のためには悠久の歳月を要するというわけで、急ごうともしない地球の過程の慎重さをもって、堆積物の蓄積は進行してきたのである。・・・・堆積物は、一種の地球叙事詩である。もしわたしたちが十分賢明であるならば、堆積物の中にその過去の歴史を読みとることができるだろう。なぜなら、すべてがここに書かれてあるからである。・・・
訳者あとがきによれば、本書の一部については、その後新しい学説がつぎつぎに誕生しているとのことです。
でも、それは、この本の第一章の一番最初にカーソンが書いていることでもあります。
これまでも多くの人たちの論議があったこと、しかも彼らの説明が、いつも一致しないこと。
それは驚くにあたらないこと。
なぜなら、「見ていた者が、だれもそこにはいなかった」のだから。
>わたしたちは現在、なにも知ってはいない。ただ、わたしたちは、海の深く荒々しいくぼみのなかには、わたしたちが解きえたどんなものよりも、偉大な神秘が隠されていることを、感じるだけである。
そうして、たくさんの人々が、海の言葉を読み解こうと試み、少しずつ成功したり、書き換えたりしてきたのでしょう。
そういうこともまた、叙事詩の一節になっていくのかもしれない。
そして、ほんの一瞬に過ぎないだろう私たちの歴史もまた、ここに記されるのでしょう。
わたしたちもまた、詩の一節になるのでしょう。
海がうたう美しい詩の一節に。