バンビ―森の生活の物語

バンビ―森の生活の物語
フェーリックス・ザルテン
高橋健二 訳
岩波少年文庫


舞台はドイツの森です。
バンビという雄のノロジカの一生を描きながら、森に住む動物たちの生と死を描き出します。
副題『森の生活の物語」とあるとおりです。
森の生活の喜び、厳しさ、苦しみ、恐れ、残酷さ、・・・
さまざまなことを経験しながら成長していくバンビの姿を追いながら、森に生きる厳しさを鹿目線(?)で読むと同時に、
人間の一生にも置き換えられそうな気がします。


作家の筆は、詩のように、森の匂いを、そこに暮らす動物たちの息吹を描写する。
春の森の美しさ。夏の豊穣。蓄えの秋を経て、生き残るために耐える冬がやってくる。
自然の厳しさに加えて、人間の狡猾さ・残忍さが森を震撼とさせる。
身近なものが撃たれ、喰われ、傷つけられ・・・痛めつけられる森の生活の厳しさ。


バンビは何度も危険に出会います。
ことに一度はもう少しで悲惨な死に方をするところだった。
それでも、「生きることは美しいことでした」と感じるのです。
必死で生きて、生死の間の細道をたどるように生きて、それでも、その生は美しいんです。ああ。


バンビは、生れ落ちたときから何もかもを知りたい、と思う。
母は何も教えません。
「いまに何もかもわかりますよ。おまえが大きくなったら」
別のときに、『年寄り』の殿さまはこう言って聞かせます。
「自分で、聞き、かぎ、見るのだ。自分で学ぶのだ」
また、若鹿になったバンビは、自分の受け入れがたいある感情について、この気持ちはなぜなんだろう、と考え、『年寄り』に訊ねます。
「でも・・・なぜ?・・・それが、ぼくにもわからないんです!」 
『年寄り』の答えは、「感じていればそれでいいんだ。やがてわかるようになるだろう」でした。
何もかもをその場で解決することはできないのです。
いえ、しなくてもいいのですね。
長い時間をかけて知ることもあるのだ、と知ります。
また、本当の答えは、人に聞いたのでは決して得られない、ということなのでしょう。
自分で探し出すしかないのです。
子どもが小さかったとき、
しきりに「なんで、なんで」と問いかけられて、その場でなんとか答えを与えようと、一生懸命だった自分を思い出します。
でも、「待ってごらん」と、いまに子が自分でわかるようになるのを待とう、と思えるようにしてやることも必要だったと、
今にして思います。


また、いつも絶妙なタイミングで出会う『年寄り』の殿は、折りにふれ、バンビに「ひとりでいなければならない」ということを教え続けます。
「命を守り、生存ということを理解し、知恵をきわめたいと思うなら、ひとりでいなければならない」ということを。
群れて生きるもの、ひとりで生きるもの、さまざまな生き方があるけれど、「ひとり」という言葉に、今は特に惹かれます。
人も動物もたった一人で死んでいくことを思いながら、わたしもいつか「ひとり」が上手になりたい、と思います。


ディズニーのアニメ映画『バンビ』しか知らないわたしにはこの物語はあまりに新鮮で、より大きな驚きと感動に満ちていました。
品切れ中のこの本、ぜひ復刊してほしい。
手許にほしい本になりました。