第七官界彷徨

第七官界彷徨 (河出文庫)第七官界彷徨
尾崎翠
河出文庫


なんといったらいいんだろう、この奇妙なアンバランスな感じは、すごく心地よいのですが、
心地よい、というところで、すでに爆笑したい気分になるのです。


ある家で共同生活する若い男三人と少女一人の日常(?)が、少女小野町子の一人称で語られます。
この「家族」は、兄弟と従兄弟同士の間柄です。
この四人がそれぞれにへんてこなのですが、
ことに群を抜いてへんてこで、物語に独特の芳香(!!!)を与えているのが、植物学専攻の学生で蘚の恋愛(!)を研究している小野二助氏。


あらすじを書いたら、もうとんでもないコメディで、現代の物語、現代の文章で書いたらめちゃくちゃなどたばたになりそうな気がします。
それが、昭和ヒトケタの奥ゆかしく美しい文章でゆったりとつづられると、不思議な優雅さを感じます。
最初から最後まで、哀感のようなものがあわあわと漂っていて、アンニュイな雰囲気があるのです。
この家族のとりとめのない日常をもっともっと覗いてみたい、と思ってしまいます。


不思議にゆったりとした文章は、たとえば、突然に「わたしたちの家族が隣人をもったのは、××の日であった」、という言葉が出てくる。
当然、そのあとにその言葉の説明があるのかな、と思う。
だけど、なにやらとりとめのない別の話が何ページにも渡ってえんえんと。
隣人の話はどうなったんだ?が、ついに隣人の「り」の字まで忘れた頃になって、
あ、そういう顛末を順を追って丁寧に話して聞かせてくれていたのね、と気がついたりします。
時間や間のとりかたなど、こちらが「常識」のように感じている感覚を少しずつ外されているようで、でもその感覚は、嫌な感じじゃないです。
全然。
そうやって、物語の独特な世界に絡められていくのです。


こやしのにおいにまみれた家のなかで蘚が恋愛し、それに伴って、家族がみんなそこはかとなく恋愛気分になっていく。
それが、蘚の恋と同等(?)に語られるくらいだから、どこか浮世離れしていて、植物的なのです。
そうだ、この本のなか人って肉があるような気がしない。どこか淡白で植物的。
ああ、今思いついた。
この家族全員、蘚の化身じゃないかしら。


音程の狂ったピアノで朝な夕なに歌うコミックオペラ。
洗濯物を干すのに使う三叉で交わす隣家との友情。
きりすぎた髪とボヘミアンネクタイ(どんなものなんでしょうか)の行方。
思慮深そうに見えて、何かあると「○○神経症」と決め付けてしまう専門ばか。
なのに、この奇妙な同居生活のチームワーク(?)やら、雰囲気やら、なんとも素敵で、まじめ顔したおかしさの絶妙さ、不思議にモダンなのです。
昭和ヒトケタだよね、これ書かれたの。
この独特のセンスは、古いのか新しいのか、いや、どちらでもない。
古いとか新しいとかのくくりではない独特の世界なのだ。


主人公は「ひとつ、第七官界にひびくような詩を書いてやりましょう」という夢を持っています。
第七官界とは何か。
分かったような分からないような気がする第六感よりさらに遠いところにある感覚のことだろうか。
とらえどころがない。
そして、この物語のタイトルが第七官界彷徨、ときては・・・この奇妙な心地よいアンバランスの、おかしくて優雅な雰囲気を、
どこが始まりでどこへ向かっているのかも知らずあてもなく漂うようなこの小説の読み心地。
この感じをつかさどるところが第七官界なのかもしれない、と思ったのでした。