少年譜

少年譜少年譜
伊集院静
文芸春秋


戦中後から昭和30年代くらいに少年だった人たちの、子ども時代のひとときを振り返ったような短編が7つ。
どの物語の少年たちも、恵まれてはいません。
とはいえ、底抜けの貧乏というのではありません。
明日の食べ物にも事欠くような日々を過ごしている子どもじゃないのです。
たくさんの使用人のいる旧家の坊ちゃんであったりもします。
物質的な貧しさではない不幸を少年たちは背負っています。
欠けているのは家族愛なのです。
さまざまな事情から親に省みられない子どもが主人公。


その寂しさ、その理不尽さ。
どうしようもないことを、自分の落ち度のように感じて苦しんだり・・・
どの主人公も、どちらかといえば内省的で、かげりがあります。
ナイーブです。
一途です。
外目にはおとなしい優等生タイプに見えるかもしれません。
あるいはとても不器用な少年に。
野山に子どもの声が響いていた時代。
子どもたちがパワフルで元気だった時代に、こんな暗がりの中を同世代のだれとも共感できず孤独に歩いていた少年たちもいたのでした。
いくつかの作品の中に、夜汽車の窓から、暗がりにぽつんと灯る民家の明かりを眺める場面がでてきます。
それを見ながら主人公は思うのです。
あそこにはどんな家族が住んでいるのだろうか、と。
両親がいて子どもがいる。兄弟がいる。
・・・そういう光景を思い描く主人公にとって、それは失われてしまったものであり、
二度と再び取り戻すことができない、という思いがあるのでした。
その切なさは、どうしょうもなく胸に痛く染みてくる。


人生も半ば以上を過ぎたとき、振り返れば、きっと長い人生のなかでは、辛いことや苦しいことがたくさんあったはず。
数々の理不尽な思いもしてきたことだろう。
でも、彼らが苦い思いをもって鮮やかに思い出すのは少年時代なのです。
苦い思い・・・
だけど、それは同時に懐かしい思い出でもある。
思い出して、知るのは、たぶん、辛い時代にすでに、その辛さを克服、とまではいかないけれど、受容していたということ。
そういう自分だったのだと振り返っているのだと思います。


どんなに幸せそうに見えたとしても、何もかも満たされた子ども時代なんてないのではないだろうか。
暗闇のなかにいる時に、ふと灯された明かり、差し伸べられた手は、鮮やかな記憶となって、少年を支えます。
暗くすさんだ時代に、自分のなかにある「良いもの」に絶対の信頼を寄せてくれる人がいる(いた)という記憶は、
どんなときにもうれしいに違いない。
それは、闇から自分を引き上げることはできないけれど、暗い中で毅然と顔をあげさせてくれるもの。
そして、その闇のなかを一歩一歩歩いていくことができるよすがになるのです。


読み終えて、『笛の音』の和尚の言葉「励め」が、耳の奥に残ります。