白い花と鳥たちの祈り

白い花と鳥たちの祈り白い花と鳥たちの祈り
河原千恵子
集英社


新しい学校、新しい家族・・・でもあさぎは、そのどちらでも居心地の悪い思いを抱えている。
郵便局の窓口で働く中村青年は、自分がほかの人と違うことを強く自覚しながら、仕事ができない、という思いに苦しんでいる。
相手の顔をこっそり見ることでほっとして、慰めを見出している二人。
二人の交互の一人称語りで、物語は進みます。
二人それぞれの生き辛さ、孤独感、やっとつけているつもりだった周囲との折り合いは少しずつ破綻していく。
そして、二人は徐々に近づいていく。


・・・といっても、恋愛感情があるわけではないのです。
二人を結び付けているものは、「癒し」です。
二人が抱える問題は、まるっきり種類が違うのですが、その根源をつきつめていくと一番大切なことに気がつきます。
欠けていた一番大切なものは奇しくも二人とも同じもののようでした。


そこに至るまでの二人の心理描写の丁寧さ。
ひりひりとした痛みが、あまりにリアルで、読んでいるのが苦しくなります。
少女、少女を囲む人々。
青年、青年を囲む人々。
登場人物だれかれのなかにも必ず自分がいました。自分の知っている感情がありました。
ときにそれはあまりに近すぎて苛立ち、ときに悲しくなり、情けなくなり、物事がもっと単純であったらいいのに、と思ったりしたのです。
もっと単純で、もっと優しければいいのに。


実際には、それは、周囲の問題ではないのかもしれません。
自己肯定。自分を許し、開放すること。
簡単に言いきってしまえば、なんと陳腐な言葉だろう、そして、どこかで聞いたことのあるあれこれのストーリーを想像してしまいそう。
でも、二人の追い詰められていく孤独感がリアルであると同時に、癒しの過程の丁寧さ、確かさに、圧倒され、胸がいっぱいになってしまう。
読みながら、作者はどういう人なんだろう、なんでこんなことを知っているのだろう、と何度も思いました。
まるで、私は本を読みながら、自分の気持ちを吐露していくような錯覚に陥りました。
何もかも通り過ぎてしまった感情、克服した感情だと思っていたのに。自分をさらけ出して、はだかになり、自分を許し、開放していく。
自分自身がカウンセリングを受けているような気持ちにさえなりました。
少女の物語であり、青年の物語である。少女の癒しであり、青年の癒しである。少女の再生であり、青年の再生である。
そして、それは、彼らをめぐる人々の再生の物語でもあったからです。


自分を変えることで周囲は変わる。
また、自分が変わるきっかけを作ってくれたのもまた周囲のだれかかも知れないのです。
そして、同時に、周囲の人のひとりひとりがそれぞれに物語の主人公として、同じ苦しみを苦しんでいたかもしれないのです。
大切な一点を見つけられずに。
石の中には言葉がある。そして、あの詩がある。
あの詩の最後の言葉、
「おお、神さまはいま
 このなかに」
読後感はさわやかでした。