すみ鬼にげた

すみ鬼にげた (福音館創作童話シリーズ)すみ鬼にげた (福音館創作童話シリーズ)
岩城範枝 作
松村公嗣 絵
福音館書店


唐招提寺金堂の屋根を四隅から支えている鬼がいる。隅尾垂木の上で正座して、その肩で重い隅木を支えている。
そんなところに鬼がいることなど知りませんでしたが、他のお寺にもいるのでしょうか。
建立以来ずっと屋根を支えてきた鬼たち、さぞ重かっただろう。


さて、作者あとがきによれば、これら四体のすみ鬼のうち、三体がひのきでできていて、残り一体だけが松でできているそうです。
表情も、他の三体とは異なっているそうです。
泣いたような笑ったような顔をした松のすみ鬼の姿から、この物語が生まれたのだそうです。


宮大工の見習いの少年ヤスと唐から渡ってきた鬼との一晩の不思議な出来事が、墨絵風の絵とともに力強く描かれます。
ヤスについては、言葉少なで、余分なことは何も語られませんが、充分にその状況は想像できるのです。
死んだ父に負けぬような宮大工になりたいという願い、父への思慕がひしひしと伝わってくる。
それでも、からだをせいいっぱいいっぱいに開いて立つ姿から少年の大望と勝気さが伝わってきます。
絵を見ればまだあどけない顔をした子どもです。
ふところには独楽を入れている。本当は、まだ独楽回しをして遊びたいような年なんだろう。
もしかしたら、この独楽は父との思い出がつまっているのかもしれない。だから、大切にふところに入れているのかもしれない。


また、はるばる唐から渡ってきた鬼、ささやかな望みを果たされないままに、屋根を支えて九百年。
一夜あればその願いは成就するのに・・・さぞ無念だろう。
それでも九百年、屋根を支えつづけ、疫病や魔物からお堂を守ってきたのだ。けなげに努めを果たしてきたのだ。


説明めいた言葉がほとんどない分、余計に物語の行間を想像してしまい、切ない気持ちになってきます。
鬼と少年の姿からは、父と子の姿が浮かび上がるような気がします。
宮大工の父はきっと逞しく、少年を軽々と肩にのせたのかもしれない。掌の上で独楽を回してあそんでくれたこともあっただろう。
「このままではあきらめきれぬ」と嘆く鬼の言葉が、まだ幼い少年を残して死ななければならなかった父の無念さと重なるような気がするのです。


高い屋根のうえから、鬼は、立派な宮大工になったヤスを満足してながめているだろうか。あの不思議な夜を思い出しながら。
唐招提寺に本物のすみ鬼を見に行きたくなります。