ハーブガーデン

ハーブガーデン (物語の王国 10)ハーブガーデン (物語の王国 10)
草野たき
岩崎書店


>「こういう、ひとりできりもりしているような小さなカフェで、成功しているところって、カフェオーナーがすてきなの。飲み物や食べ物やインテリアじゃなくて、ひとがすてきなの。お客さんはオーナーに会いたくて、通い続けてくれるのよ」
「どんなにハーブをきれいにガーデニングしても、オーナーがすてきじゃないとダメなのね」
「草花はひとにはかなわない」
由美が通い詰めたハーブガーデンは、ひとつの「秘密の花園」でした。
秘密の花園の中に逃げこんだ由美は、そこで「ひと」をさがしていたのでした。
秘密の花園は、閉ざされた心の内側です。


由美がハーブガーデンに逃げ込まなければならなくなった理由は、たくさんあるけれど、
そのなかのひとつが親の不用意な言葉であったことが一番印象に残っているのだから、
やっぱり親目線で読んでいるのですよね。
親は、正確には子に何が起こったのかわからないけど(全部話すには子どもはもう大きくなりすぎていた)、
それでも間違いなく子どもが傷ついていることに気がつきます。
そのとき、親の口から出た言葉に、わたしはやられました。
情けないけど、予想していなかったのです。わたしには言えないかもしれない。
でも、おかあさんの言葉には、子どもを全面的に受け止める真摯さがあったから。
そして、すらりそういう言葉が出てきたのは、
これまでだって彼女は一瞬だってぶれずにそういう気持ちで子どもと暮らしてきたのだ、と感じたからです。


それから、働いているおかあさん、働いていないおかあさん。
隣の芝生が青く見えるのは仕方がないとしても、この類型分けもねえ・・・
案外、子ども以上に大人がつまらないレッテルを貼ってわけてしまっているのかもしれません。
そうすると、他の部分に目がいかなくなってしまいがちなのに。
どのおかあさんも、大切な子どもたちのおかあさんであることに変わりはないし、
ひとりひとりそれぞれのやり方・それぞれで違った思いをこめておかあさんをやっているのに。


ハーブガーデンの葉陰にすわれば、いろいろなものが見えたでしょう。
花蓮ちゃんも、カフェのすみれさんや綾芽さん・・・それから塾の木村くん。
どの人たちも由美が最初に思っていたのとは違っていたよね。
見た目とはずいぶん違っていたよね。ずっとみているうちに気がついたこともある。
だけど、逆に由美もまた見られていたのでした。
見せかけの由美とほんとうの由美は違う、ということ。
隠すことなんかできないし、自分でも気がつかない自分がいるかもしれない。
それはやっぱりひとりではみつけることができないのだろう。
ひとりでいたら、だれもみつけてあげることもできないのだろう。
さらにその先へ進むこともできないのだろう。


その花園に、人を入れること、そこから出て行くこと。
それを選ぶことができるかどうか、自分の意志で。
だれかが秘密の花園の鍵をあけなくてはいけないのだとしたら、それは自分しか居ないのでした。
それができたら、もう「秘密の花園」は秘密ではなくなるのです。
ハーブガーデンから「秘密の花園」を連想したのはそういうことでした。
人と繋がることは、こわいし、すごくたくさんのパワーが必要だけど、希望にも繋がるのですね。
そうではないこともあるかもしれないけれど、まずはこの結末でよかったです。