砂漠の物語

砂漠の物語砂漠の物語
郭 雪波
松瀬 七織 訳
福音館文庫


>砂による害は人類が直面する四大災害の一つで、全世界の三十七パーセントの土地がすでに砂に呑みこまれて、不毛の地となっていた。しかもこの面積は脅威的な速さで日ましに拡大していた。近い将来、人類生存の頼みの綱であるこの地球は残らず黄砂で埋まる恐れがあった。
じわりじわりと確実にすべての生を砂にうずめてしまう自然の威力。
砂に戦いを挑もうなんて、または、砂と折り合いをつけようなんて、思い上がりかもしれない。
傲慢なものを容赦なく打ち負かす脅威。
いや、打ち負かすとか勝つとか、そんなのともちがう。
怒るでもなく、あざ笑うでもなく、虫けらをひねりつぶす程度の感情さえ持たない。
砂漠には感情などない。
ただ黙々とその守備範囲を広げていくだけなんだ。
それだから怖ろしい。
そんなところに単身住みたい、と思うだろうか。
せめて群れをなして、集落を作ることが知恵だろう。


マングス・マンハ――悪魔の砂漠、という。
なにもかもを黄砂で埋め尽くそうとする砂の国に、へばりつくようにして、それでも、わずかな生き物が暮らしている。
人、オオカミ、キツネ、スナネズミ、ウサギ、キジ・・・
砂漠で単身生きることを決心したものがいる。
人が人のなかで生きることをやめ、動物が動物の中で生きることをやめて、この油断のならない砂漠に生きることを選ばざるを得なかったもの。
生きることの厳しさが、情け容赦なく描かれています。


不穏な赤い空。
オオカミの吼える声。
巻き上がる黄砂。
作物をあっというまに埋め尽くす砂と風。
井戸を埋め、なけなしの水を干上がらせる灼熱の砂嵐。


この地に生きることは、暗黙の、そして厳格なルールに従わなければならない。
それを破ったら滅びるしかないのです。
厳格で残酷なルール。


残酷な砂漠だけれど、その砂漠を描写する作者の筆に、はっとするほどの美しさを感じます。
作者もまた、この地に魅せられた人なのかもしれません。
いったいいつの時代の物語なのか、わからなくなります。
砂漠の外では、町があり、電話も通う。ホテルがあったり映画館がある。
だけど、そういうものがあまりにも遠く感じられる。
文明のあれこれが、まるで嘘みたいに思える。
この本の世界は決してきれいごとではありません。
覚悟していても、ときどき、はっと目を覚まさせられる。
・・・ここを離れることができない理由が人にも動物たちにもある。
死の掟も生の掟も受け入れながら、ここで生き抜く彼らは、他者からみたら相当偏屈で奇妙な人たち、そして、しぶとく怖ろしい人たちに見えます。
動物もそう。
だけど、むしろ彼らの一本気な純粋さに打たれるのです。
人、動物、の区別なく、誠意を尽くすべきは、同族の隣人たちではなくて、もっと大きなものなのだ、と粛々とした気持ちにもなるのです。
ときに人・動物の区別なく、「砂漠に生きる」という絆に結ばれていく。

>まさにいっとき、動物たちは平和共存、相互不可侵で、たとえ普段はたがいに対立し、憎みあってはいても、このときにはしばし休戦し、たがいに邪魔しないのだった。
人が作った規則は、ここには通用しません。
教科書的な原理も通用しません。
文化も文明も越えて、生き残る、ということだけがすべてなのでした。
それは自分が、ということではなくて、命が、でした。