アメリカの61の風景

アメリカの61の風景アメリカの61の風景
長田弘
みすず書房


風が渡る・・・
本の中を吹き抜けていく風をいっぱいに吸い込むようにして読んでいました。
それは、アメリカ全土を吹く風。人々の心から心へと吹き渡っていく風。歴史のはるか彼方から現代に向かって吹いてくる風。
この本はアメリカの「風景」を61章に渡って切り取ったロードエッセイです。
エッセイというより、やっぱり詩でした。そして風のようでした。
それを読みながら、詩人の感じるアメリカをわたしもまた感じます。その風は、肌にしみいるような気持ちのいい風でした。
一章一章を大切に味わって、たくさんの付箋を貼りました。それから読んでみたい本のたくさんのメモができました。
これから付箋を全部はずさなければならないのが寂しいです。


『18 日々を称えた人』でとりあげたのは、グランマ・モーゼス。
彼女の遺した絵が伝えるのは、
「人生というものはなお誠実に生きるに値するのだという、この世に対する祝福だ」と。
「何か楽しくて生き生きとしたものを大切にしたい、とグランマ・モーゼスは言った。景色であれ、古い橋であれ、夢であれ、夏冬の景色であれ、子ども時代の思い出であれ」
と続く。
人生の日暮れ時に絵を描きはじめた人、と思ったけれど、それは、いきなりではなかったのですね。
そう思うとわたしもまた一日一日を大切に生きなくては、と思えてくる。
一日の終わりに振り返ってときに、その日のなかで心に残る風景は何か、
一年の終わりにふりかえったときには、人生のおわりにふりかえったときには・・・
今を大切にしたい、いつもいつもじゃないけれど、心澄ませることを忘れずにいたい。


北部と南部を隔てるオハイオ川を渡ろうとした黒人たちの物語も少しずつ風化してしまうだろうか。
『38 オハイオユートピア』では、
「歴史がのこすのは、物語だけだ。
そして、物語が忘れられてしまえば、あとにのこるのは、ただ風景だけだ」と書く。
オハイオ河を越えて、遠くケンタッキーのうえにひろがる薔薇色の夕暮れのなかで。
逆にいえば、きっとこういうことでしょう。風景には忘れられた物語がある、と。
長い長い時を越えて、あの風景もこの風景もただ静かに存在するだけ。
でも、そこを歩いた人たちの喜びも苦しみ、私が知らないだけできっとあったはずなのです。


そして、『43 フラナリー・オコナーと朱い湖』にはこんな記述がある。
「自然というものは、ほんとうは平凡で、ごくありふれた、異様な世界なのだ」と。
これも詩人だからこその言葉。
何もかも、ここに存在する全てのものが奇跡。
そして、それは、奇跡奇跡、異様異様、といちいち驚いていられないくらいに日常的なことでもある・・・
よきにつけあしきにつけ。奇跡であることが、ありふれたものでもあるってすごいことだ。


「いかなる過剰をも、幸福の場合ですら避ける」
ナヴァホの作法のストイックさは、忘れがちだけど、今のわたしには必要な言葉。


ロングホーン・カフェのポテト・スキン、チキンフライド・ステーキ、サワードゥ・ビスケット。
素朴なのに一癖あって、素朴だからおいしい料理の話にはおなかがすいてくる。食べてみたい食べてみたい。
それなのに、
「いまは無くなってしまった。どこだっておなじなのだ。いいものが一番先に無くなってしまう」
・・・ああ。


「ウム、ヤム、デリシャス」・・・ああ、甘酸っぱいにおいが広がる。マディソン郡の「男」ジョン・ウェインと野生の林檎の物語。
林檎の種子の入った合切袋を肩にかけてオハイオ州の森から森へ裸足で歩いた「男」ジョニー・アップルシードと林檎の物語。
そうだ、グランマ・モーゼスも自家製りんごでアップルパイを作っていたのだっけ。
アメリカのAはアップルのAという。


まだまだたくさんの物語に、どきどきしながら読み、そのつど、たちどまっていちいち美しい文章をゆっくりと味わいました。
そして、
「・・・いつまでも記憶に明るいのは、この世界をつくっているのは平凡な無名の人間たちだということ・・・」
との言葉に強くうなずくのです。
大前提であるはずのこのことがふと忘れてしまわれることがないように、と思いながら。


最後に・・・本屋さんについて書かれた文章があちこちの章にたくさんありました。
長田弘さんの好きな本屋は、猫がいる本屋。(そして詩集を置いている本屋はいい本屋だそうです。)
猫がいる本屋、という言葉から想像できる本屋はどんな本屋でしょう。
少なくとも大型書店ではないです。チェーン店でもないです。
本物の猫が実際にはいなくてもいいけど、猫がいても違和感がないと感じる本屋さんでゆっくりできたら、至福至福、と思う。
「本屋がなくなっても、本屋の思い出は本のなかに残る」と長田さんはいう。大切な本は、本屋の思い出とともに残るなんて素敵です。
この本『アメリカの61の風景』もいずれ買う予定ですが、急ぎません。大好きな本屋さんで、記念にしたい日に買おうと思います。