女中譚

女中譚女中譚
中島京子
朝日新聞出版


林芙美子「女中の手紙」
吉屋信子「玉の話」
永井荷風「女中の話」
どの物語も読んでいません。
もし裏(いや、こちらが裏なんだけど)を先に知っていたら、もっとずっとおもしろかったに違いない。
もちろん、知らなくても充分に堪能したのですが。
これも少し前に読んだ「FUTON]のように、「打ち直し」の物語だった。


三話にわたる女中譚は、もと女中・女給のすみによって語られる。
すみ、九十何歳だったっけ。とにかくほぼ一世紀を生きている女丈夫の大ばあさんです。
ほぼ一世紀間の東京を眺めてきたわけです。
文士や経済人の女中として、または「シュギシャ」の情婦として。
この一世紀のあいだの日本史を生きてきた、五・一五、二・二六も、満州事変も太平洋戦争も、彼女の思い出のなかにしっかり刻まれている。
歴史に名を残すあれこれの事件、人々の生き死にの間に、自分が何をしていたかしっかり覚えている、ってそれだけですごいことだと思う。


しかし、一筋縄ではいかない。
この人の毒と、色気、したたかさに、舌を巻きつつ、そのかわいらしさに魅せられてしまいます。
この油断のならない感じ、抜け目なさに、怖ろしくなりながら、凄さと同居しているユーモアが憎めないと、彼女に肩入れしてしまうのです。
すみの魅力に悪酔いしそうだけど、それでもいいや、という感じになってしまう。
    >人間、てめえでてめえに優しくできない奴は、他の誰かにやさしくされる資格はないんだよ。
と思ったら容赦はない。
最初の「ヒモの手紙」の、とことんまでの姿は恐ろしさがいっそ潔いくらいでした。
そうして、女一人、生きてきたのでした。
正直に、とか誠実に、とかって言葉にはきっと反吐が出るだろう。
生きるためならたいていのことはしたし、利用できるもの、つかめるものは、その場その場でしっかりつかんできたのだ。
見事な女の一生でした。


すみの昔語り、一人語りによる文章は、時代がかって、レトロで、どこか薄暗くしけっぽいような感じ、
うらぶれた雰囲気の中に耽美なあれこれをちらつかせる。
美しい文章だな、と思う。
特に最後の「文士のはなし」の文章がいいのです。
そして、昭和初期の女給が、現代のメイド喫茶のメイドに繋がるのもなんともユニークなのです。
ほろ酔い加減でゆるゆる読んでいく楽しさ。
読んでみたいな、もとの物語を。そして、もう一度、この本を読み直してみたい。