オール・マイ・ラヴィング

オール・マイ・ラヴィングオール・マイ・ラヴィング
岩瀬成子
集英社


ビートルズ来日が1966年だから、このころ14歳だった喜久子はわたしより少しだけおねえさん、ということになる。
あの時代の空気。あの時代の暮らし、あの時代の町、あの時代の学校、あの時代の話題、あの時代の憧れ、痛み、あの時代の付き合い・・・
懐かしくて懐かしくて、喜久子の日々を読みながら、自分が子どもだった頃の、自分の町や学校を思い出している。
岩瀬さんの描き出す1960年代は、あまりにも、私の知っているあの町に似ていました。
携帯もパソコンもなかった。
レコードがあってプレーヤーがあった。
テレビを持っている家に、近所の人たちは見せてもらいに行ったものだ。
電話も、持っていない家は、持っている家に借りに行ったものだった。
玄関に鍵なんてだれもかけていなかったし、だれかしらが廊下や店先のどこか上がり端に腰をおろして家人とおしゃべりをしている日常。
密な近所づきあいは、ありがたかったりうっとうしかったり・・・
学校の先生は怖かったな。
土の匂いがする、味噌の匂いがする。時間ともなれば煮炊きする煙が流れてぼーっと町がかすむ。


喜久子は、母を失い、父と姉と三人暮らし。
姉の恋と、心配する父とのあいだで不安になり、
近所の大人たちにこっそり用事を頼まれたりしながら、もう、大人をしっかり観察できている。
観察しながら、心配したり、優しい思いを持ったり、ふと距離をとりたくなったり、している。
友だちへの思い、ほのかな恋心。純粋でまっすぐな気持ち。だけど、14歳なりの無責任さや不安定感も持っている。
自分をとりまくいろいろなことに心を痛め、憧れ、不安になる。
大人の入り口にさしかかってはいるけれど、まだまだ世界がちゃんと見えていない。
それだから不安になる、悩む。
それだから何もできない無力感に苦しむ。
そして思う。
成長するということは、大切なものひとつひとつに別れを告げていくことなのだな、と。
14歳は思のです。
自分に力があったら、あれもこれもできたのに。
「かなうはずの夢」と「かなうはずのない夢」の違いもわからない14歳の愚かさと悲しみが、成長痛のようでなんともやるせないのです。


流れ続けるビートルズの音楽。
ビートルズへの純粋でまっすぐな憧れは、喜久子の無力感の隙間を埋めていくよう。
ビートルズは特別なの」と言う喜久子は怒るだろうか。
ビートルズに限らず、だれもがきっと自分だけの「特別」な何かを柱にしながら、14歳の日々をわたっていくのだ、と言ったら。

ビートルズはあっさり壊したのだと思う。なにかを。今までにないやり方で壊そう。壊せよ、壊しちまえよ。そういっている気がする。きらっと光るものが見えるだろ。それなんだよ、おれたちが歌っているのは。綺麗なものは汚い。汚いものは綺麗。
今まで気づいてさえいなかったものが、ばらばらと壊れていく気がする。壊さなきゃならなかったものが、そこに確かにあったんだ、と思う。悲しみが広がる。ビートルズは悲しい。
今の14歳たちとちっとも変わらないじゃない。
風景が変わっても、暮らし方が変わっても。
やがて苦く甘い思い出に変わっていく・・・自分の無力さに気がつき始めたほろ苦い時代。
Tomorrow I'll miss you…
「ALL MY LOVING」は別れ歌でした・・・