贖罪(上下)

贖罪〈上〉 (新潮文庫)贖罪 下巻 (2) (新潮文庫 マ 28-4) 贖罪〈上〉
贖罪(下)
イアン・マキューアン
小山太一 訳
新潮文庫


ある事件が起こる。
第二次大戦イギリス参戦直前のある裕福な家族に。
この事件に関わった人たちすべてのその後の人生を大きく変えてしまう事件が。
この事件が起こるまでの関わりのある人々の情景が丁寧に描かれているのが第一部。
それから、この事件以降を、二人の人物それぞれが語る第二部と第三部。
そして、時代が大きく隔たった現代に書かれた、という短いエピローグ。


上下二巻のうち、第一巻全てが当てられたページ数のもっとも多い第一部ですが、なかなか進みませんでした。
うだるような夏の大きなお屋敷、様々な人物がいて、それぞれに自分の思いにかまけているばかりで、
大きな事件が起こるわけでもない300ページ。
様々な場面に対して、それぞれの人物の立場にたって、それぞれの目線による描写によって繰り返し描き出されていく。しつこいくらいに。
感じるのは、同じ事柄を描いているはずなのに、別の人の目線から見ると、ずいぶん違って見えることへの驚きでしょうか。
人ってまっすぐ物を見ることってできないのかもしれない。
それぞれの気持ちや心情、相手に対する気持ちや、物に対する愛着、経歴、身分などなどが絡んでくると、
同じ物事が全く違うものに見えてしまうのだ、とうっすらと気がつき始めるのです。
そのような気持ちを読者に起こさせながら、いきなり事件が起こる。
一見サスペンスタッチで、でも、ごく単純なサスペンスで、起こったとたんに事件の真実の姿が見えてしまう。
そして、それは間違いではないのです。現象としては。サスペンスだったら、それで正解なのだ、と思います。


でも、イアン・マキューアンはサスペンスを書きたかったわけではないのです。
問題は、わたしたちもまた、登場人物と同じように、真実を曲げてみている、ということなのだ、と思います。
見えたとおりの真実、事件としての真実、それはたぶんそのとおりなのだ、と思います。
でも、別の「真実」がある・・・


最後の一行まで読んだときに感じるこの物語の深まり、あるいは「物語」というものの意味。
ひいては、物語を通して見た人々の人生が今まで見ていたのと違って感じられてくる。
真実の人生の重さ、深さ・・・。そして、「真実」とは何だろう、と考えてしまいました。


タイトルの「贖罪」・・・この言葉の意味するものの大きさ、思いがけなさ、そこに篭った心の深さなどに、言葉をなくしています。
そして、そういう意味の「贖罪」から、ここに現れた人々の人生を振り返ってみています。
希望も無く、空しい苦しみに満ちた、短いある人生を思えば、やるせなくなるし、残念で悔しくてならないのです、実際。
だけど、ここに大きな光がある。どうあっても変えることのできない苦しみに満ちた「真実」なのに、それが「真実」なのに・・・
しかもあの最後の一文から知るのです。自身もまた解き放たれたことを。
この清清しいまでの読後感ってなんだろう。この明るい輝きはなんだろう。
小説家って、すごい・・・