文体練習

文体練習文体練習
レーモン・クノー
朝比奈弘治 訳
朝日出版社


>読んでいただければわかる通りこの作品は九九の断章から成っているが、それらの断章はどれも皆同じ内容、同じ出来事を扱っている。出来事といっても別にたいしたものではない。ある日バスのなかで起こったつまらない喧嘩の顛末と、その張本人を後でたまたま目撃したというだけのことだ。それぞれの断章で具体的な細部に多少の違いはあるものの、書かれている事件の枠組みそのものは何の変わりもない。断章ごとに変化するのは「書き方」の方だ。つまり、優れた料理人がたったひとつの食材からさまざまな味の料理をつぎつぎと作り出してみせるように、限られた材料を使って九九通りの異なった「書き方」を実践してみせたものがこの書物というわけである。
                                 (訳者あとがきより抜粋)
この本は、どうってことない場面を99通りの文体で書いてみた本です。それだけです。
・・・・・・


ぷっ。


それだけ? それだけなのに、なんでこんなにおもしろいんだろう。
第一、99通り、よくもまあ書き分けてくださいました。
まず、一番目がメモ。ほとんど箇条書きに書かれた一場面。これが基本体ですね。
これを「複合記述」「控えめに」「隠喩を用いて」「語順改変」などなど、99通りの(おまけが三つ)さまざまな方法で書き分けているのです。
とはいえ同じ場面でしょ、同じ内容でしょ。99回繰り返したらしつこくない? どこがそんなにおもしろいのか???
・・・それがうまくいえないのです。
このおもしろさ、不思議体験は、たぶん読んだ人しかわからないかもしれません。
すごく遊び心のある本ですが、あとになるにしたがって、どんどん調子に乗ってきて(?)はっちゃけた感じになってくるのです。


これを訳すのって、すごく大変なんじゃないかな、と思ったのですが、訳者、すばらしいです。
すごーく遊んでくださって、すてきったらすてきです。
「古典的」(もとは「ギリシア語法」)や「ちんぷん漢文」(もとは「ラテン語もどき」)なんて、もうおなかを抱えて笑いたい。


そして、本全体がひっくりかえってそっくりかえって遊んでいるのです。
文字はあっちやあさってを向いているし、すてきにまざる赤い文字がなんとも粋です。
遊んでいる、といっても無軌道ではないのです。
この品の良さと、このエレガントさ。なんとおしゃれな本なのでしょう。
そうそう、ページ数を示す片端の小さな数字たちのことも忘れそうですが、忘れてはいけません。
ちゃんとそのページの文体に合わせて踊っているのですから。
うーん、ちっちゃいけど、すごくおしゃれ。
そのうえ、この装丁、でしょ? 丸ごと素敵な本なのです。


だけど、おしゃれだ、おもしろい、楽しいと笑い転げ、次々現れる変わった文体を楽しんでいるうちに、なんだか奇妙な感じになってきました。
見ている場面は同じはずなのに、
その見え方も、そこから感じることも、文体によって(発信の仕方によって)、受け取り方がこんなに変わってくるのだ。
はてはて、文体ってなんだろう。
こうして書いている文章ってなんだろう。
また日ごろ読んでいる文章ってなんだろう。
などと考えて、ちょっと醒めた気持ちにもなるのでした。


・・・だけどやっぱりおもしろい。「古典的」、いいです。「付録2」も、いいです。