ピーターと象と魔術師

ピーターと象と魔術師ピーターと象と魔術師
ケイト・ディカミロ
長友恵子 訳
岩波書店


死んでいるのか生きているのかわからない妹との再会を誓う孤児ピーター。
いつか誰かが迎えに来てくれる夢を見ているアデル。
魔術で呼び出されながら、元いた場所へ帰りたがっている象。
ただ一度の本物の魔術を使ってしまったものの、自分を見失っている魔術師。
惨めさと許せない思いで、かたくなになってしまっているラヴォーン夫人。
大切な少年時代の思い出を失いかけているラヴォーン夫人の召使ハンス。
それぞれに心の大切な部分を見失い、自分の居場所を見失い、そのために惨めな生き方をしている。
見失ったものをみつけだすために必要なものはなんだったのか。


誰だって、まっすぐに歩いてきたはずなのに、いつのまにか踏み込むべきではない道に深入りしていることもあるかもしれません。
いつのまにか元の道をゆっくりそれていて、道から外れていることさえ気がついていないこともあるだろうし、
気がついていても頑なに修正を拒んでしまうこともあるのだ、と思います。


登場人物も登場人物たちの負ったものも、ほんの端役に至るまで、すべてが意味を持っているようでした。
こじきのトマス、視力を失った犬のイドー、石工のバートック、

そして、ハンスの思い出の中に住む名を忘れられた雌犬・・・
名を忘れた・・・名前には意味がある。
そういえば、帰る場所を失った象が、自分の親がつけてくれた本当の名前を忘れないようにしていた、というくだりがありました。
名前は、その人が本当に属する場所と関係があるのかもしれません。
名前を忘れることは、その人がその人ではなくなってしまうこと、あるいは心の一部が失われてしまうことなのかもしれません。
召使ハンスが少年時代の思い出の大切な一部であるあの雌犬の名前を思い出したとき、血の通った人として動き出したように。
そして、妹が生きていることを信じ切れないピーターは、妹の名前を思い出すこともできませんでした。
この物語の人々はみな本当の「名前」を探しているようにも思えました。


おまわりさんのレオは「もしかしたら」「たぶん」「かもしれない」が口癖でしたが、その言葉に続くものは、みんな希望の言葉でした。
信じたいと強く願うものを後押しする温かい応援の言葉、と思いました。
主人公のそばにこういう人がいてくれるのはいつでもうれしいものです。


この世におこるはずのないこと、あるはずのないもの・・・強く願い、信じられないものを信じるとき奇跡が起こる。
ひとつの奇跡は、大きく広がり、みんなの心に奇跡を呼び起こす。
魔術師や冬の都会の象、など、不思議な雰囲気ですが、人々の願いは、かなりささやかなものです。
でも、それがかなうかかなわないかで、生き方はすごく違ってくるような気がします。
奇跡・・・それは人の心のなかにあるもの。
わたしはラヴォーン夫人の「奇跡」が一番好きです。一見なんにも変わらないところも。