『秘密の花園』ノート

『秘密の花園』ノート (岩波ブックレット)『秘密の花園』ノート
梨木香歩
岩波ブックレット


バーネットの「秘密の花園」を梨木香歩さんが丁寧に読み解いていきます。
梨木さんの優しい語り口に心地よくついていけば、はっとする言葉にたびたび出会い、その内容の深さに思わず居住まい正したくなります。
よく知っているつもりでいた「秘密の花園」の何をわたしは知っていたのだろう、と思いました。
このブックレットを傍らに置きながら、「秘密の花園」をもう一度丁寧に味わいなおしたくなります。
(ほほ、そんなこともあろうかと、すでに岩波文庫版をほら、ここに用意しているのです。次はこれを読むのだ)


メアリとコリン、そして庭師のベンのつながり、ディコンの母・コリンの亡くなった母の存在の意味、
また次々に現れる動物の存在の意味、鍵や隠された扉の意味、お屋敷のたたずまいの意味、
ほんの端役的登場人物に至るまでの絶妙な位置関係・・・などなど、まさに目から鱗でした。
そして大きく「庭」の意味に至るのです。
そして、ここまで細かく深く読み解く梨木香歩さんにとって、「秘密の花園」という本はどんなに大切な本であったか、
きっと何度も何度も読み返したにちがいない、と想像したのでした。
このようにして丁寧に読み解きながら終章に終結する言葉、この物語に篭められた意味に、大きく感動しないではいられないのです。
わずか70ページほどの薄いブックレットですが、大きな物語を読んだような満足感を味わいました。
本の読み方もまた、梨木香歩さんにとっては新たな創造の場のようでもあり、それを読む読者のわたしには冒険のようにわくわくする体験でした。


中で、印象的だったのは、40ページの括弧で括られたこの言葉。

>それにしても、コリンに出会うときのシチュエーションといい、ディコンに出会うときのシチュエーションといい、これしかないという舞台設定です。こういうことはきっと、考えてできることではなく、バーネットのペンが、まさしく「これしかない」というように自然に走っている、その息づかいさえ感じさせます
思わず舌を巻いてしまいます。
これだけ深遠な意味のある、いくつものサインを配し、登場人物を丁寧に目的に応じて絶妙に行動させながら、
計算しつくして書いたわけではなくて、作家が自然に走るがままにペンを動かした文章だと、そういうのです。
頭で計算して情景を描くのではなくて、肌で感じたままにどんぴしゃりの情景を描いてしまう、とそんな感じかな。
そんなことができるのか、プロの作家は。げにおそろしや、です。
そして、おそらく、このように書いた梨木さんご自身が、身に覚えのあることなのだろう、と推察します。
これは常人にまねのできる境地ではないではないか。


そして、このように一冊の本を深く読み、思いをつづってきた梨木さんは、最後に「本を読む」ということの意味をこのように書いています。

>ときに作品は、作者個人の意図と意識を超え――こういう表現が許されるなら――神がかり的に生まれるものであり、読書とはそういう作品と読み手との間の協働作業(コラボレーション)であるとも言えます。(中略)そう考えると、本を読むという作業は、受け身のようでいて、実は非常に創造的な、個性的なものなのだと思われます。
そんなふうに言われたら、一読者としては、うれしくなってしまいます。
これ、座右の銘にさせていただこうかと思います。