スター★ガール

スターガールスターガール
ジェリー・スピネッリ
千葉茂樹 訳
理論社


せつなさに、胸がいっぱいになって、時に涙があふれてくる。スター・ガールという少女のこと。
スター・ガールがスター・ガールであること。
スター・ガールの魅力が思う存分に発揮され、彼女の持っている世界のすべてが美しくて愛おしくて・・・引き込まれずにいられないのです。
秘密の場所、あちこちにばらまいたコイン、新聞の埋め記事・掲示板、その人に相応しいカードを選ぶこと、自分以外の誰かが喜ぶことを喜ぶこと、
ちゃんとものを見ること、驚くこと、大きな口を開けて思いっきり笑うこと、そして、本棚の上の小さなワゴンに積まれた石ころ・・・
まわりをぎょっとさせる派手なパフォーマンスにはひとつひとつに、心篭めた意味がありました。


アーチー(こんな大人が傍にいてくれるなんて!)の言葉
「彼女は、わたしたちの本来あるべき姿なのではないかと思うほどだよ。もしくはわたしたちの過去の姿か」
この本を読んでスター・ガールに惹かれるのは、そこなんだ、と思います。
こんなふうに生きられたらなあ、という思い。
そして、みんなとうまくやっていくためには、そうはいかないのだ、と、そう思うから、自分の行動のどこかにブレーキをかけてしまう。
あるいは、心のどこかに蓋をしてしまう。
思えば、だれに迷惑をかけるわけでもないけれど、だれに禁じられたわけでもないけれど、
でも、そういうことはしないものだ、それが規律だ、と信じてきたから、やりたいことも我慢できたのだ、みんな我慢しているんだもの。
だから、目の前で、そういうことを堂々と、無邪気にやって見せてくれる人間がいたら・・・それは我慢できないのだ、許せないのだ。
自分の中に押し込めて黙り込ませてきた秘密が、今目のまえで堂々とさらされているみたいで。
ほんとはそんなふうに生きられたらなあ、ときっと心の片隅で感じている。それを認めることさえしたくないけど。


人の集団は残酷です。
その集団を維持するために異質なものは容赦なく排除されるし、いったん排除されたら、元に戻すことは限りなく難しいです。
スター・ガールの徹底的な孤独さ。
だれがレオを責められるだろうか。そうは言っても取り返しのつかない苦々しい後悔。
レオだけではなくて、「みんな」のひとりひとりもまた選んだのでした。「みんなか彼女か」と。それぞれで重さは違うけれど。
わたしだったらどうしただろう、と考えてしまうのです。
・・・どんな道を選んでも、きっと苦しい、苦い後悔が残る。


そして、そんななかで、どうしても一人の少女に思いがいきます。
最初から最後までスター・ガールの友だちでいて、スター・ガールのスターガールらしさを大切にしたドリという少女です。
ただひとり、彼女だけはスター・ガールの側についたのです。
激しい「シャニング」のさなかにも、一瞬もぶれなかった。
でも、彼女のことについて書かれた文章はほとんどないのです。
彼女がどんな少女だったか、彼女の思いが伝わってくる文章はまったくといっていいほどない。
わたしは彼女のことをもっともっと知りたい。
スター・ガールの凱旋をひとりプラカードを持って迎えたドリ。
スター・ガールと二人中庭で無人の聴衆を相手にウクレレを演奏するドリ。
スター・ガールをエスコートしてタキシード姿で自転車をこいだドリ。・・・
彼女のことをほんとうに知りたい。


「あの子はにせ者よ」と誰かが言った。
そうだ、にせ者かもしれない。
この学校の生徒の一人として考えるなら、スター・ガールは、あまりに存在感がありすぎて、かえって存在感がないような気がする。
彗星のように現れた少女、そして、煙のように消えてしまった、スター・ガール。
たぶん、そんなふうにしか存在できなかったのかもしれない。
ここまで自分に正直で、ここまで潔い生き方を通すことは。
彼女の存在感をほんとうに感じ始めるのは、もしかしたら彼女が消えてしまったあとかもしれない。
いなくなってからのほうが、いたときよりもずっと近く感じる人がいる。
スター・ガールってなんだったのだろう。彼女は、みんなの心にまちがいなく星があることを思い出させたはず・・・
どこでどうしているのだろう。最後にヤマアラシのネクタイが小さな希望を運んでくる。星のように。