ベルリンの瞬間

ベルリンの瞬間ベルリンの瞬間
平出隆
集英社


詩人の平出隆さんが1998年5月〜1999年5月までの一年一ヶ月を奥さんと愛猫nといっしょに暮らしたベルリン。
その滞在記を、日記(週記)ふうに、散文ふうに記録したものです。


ナチ体制化の記憶、壁崩壊の記憶を擁したベルリン。
その歴史の痛みを常に意識しつつ、芸術家や作家と語り、習慣を語り、街のあれこれを語り、建築物を語り、この街に外国からやってきた人々との交流について語り・・・
ことにカフカカフカの暮らした町に住み、カフカの足跡を追い・・・
わたしの一冊も読んだことのないカフカを、平出さんは追いかけていました。
どこの町、どこの建物、また語りの中にも、カフカが顔を出して、平出さんにとってカフカがどんなに大きな存在かということを知りました。
そして、わたしも読んでみたい、と思いました。どこから読もうかな・・・


このたびの滞在は実は二度目のベルリンなのだそうです。
最初のベルリンは十年前の短期滞在で、その折の記憶を懐かしく思い出しながら、現在のベルリンを語るあれこれの文章が好きです。
たとえば、日本からベルリンに降り立ったとき、出あった親切なタクシーの運転手から、デジャブのように、10年前のベルリンで出あったタクシーの運転手さんのことを思い出している。
ディートリッヒに似ていなくもない女性ドライバーだったこと。
信号待ちで止まった交差点の荘重な建築物を指差して、あのアパートの二階がわたしの家よ、と呟いたことなど、
読者にとってはまるで映画の一シーンのように雰囲気のある絵が浮かび上がってくるのでした。


10年前初めて泊まったホテル(というより、まさかのアクシデントにより予約がとれず、やっと滑り込んだホテル)のことを語った文章がわたしは一番のお気に入りなのです。
「・・・あれが、ベルリンの最初の夜だった。そして記憶はどこまでも生きつづけ、いつのまにかイメージを、そこだけが現実的なものの滞留であるような架空の場所に変えたのかもしれない」というその思い出のハンザホテル。
「ベルリンの魔の棲みついた空間として、十年間、ぼくと妻を惹きつけ続けた直感の場所」であるハンザホテルを、久々に訪ねてみる場面。
「同じ場所が、そこにそのままありつづけながら、まったく別の場所になる」
「イメージの中で生きているものを、壊すことなく、むしろそれを強化させておいて現実の相とぶつける。すると記憶の中のイメージは幻滅としてしりぞくとはかぎらず、むしろしらしらとした現実の表皮にとりつくことさえある」
十年前のホテルのイメージが、なんだか仮面舞踏会のような、不思議な幻想的なイメージ(とわたしは受け取りました)だっただけに。
現在、かなりイメージの違ったホテルの姿から、昔の名残をみつけながら、このように言われたのです、平出さんは。
くらくらして、不思議な酩酊感を味わいました。
気持ちよく酔ったあと、思いがけず目の前を白鳥が飛び過ぎる場面で終わる心地よさまで、大好きな一章でした。


また、もうひとつ、印象的なのは、ポーランドアウシュビッツを訪問した際の文章。犠牲者の残した衣服の山、靴の山、トランクの山、人々の遺体から剥ぎ取られた頭髪の山、めがね、義手義足の山・・・
アウシュビッツはあれらの作品を、アウシュビッツ以後の芸術として性格づけてしまったのだ」と言います。
「芸術作品が帯びようと求めるこれらのもの」・・・そこに「真実」という言葉が浮き彫りになって表れてくるようです。
アウシュビッツのガイドのひとりが、ここを案内しながら、「KAFKA」と書かれた鞄を指差し「マリー・カフカ。そう、あのフランツ・カフカの妹のトランクです」ともっともげな嘘を言う。
何一つ語らなくてもこの場にいる、それだけで雄弁な声が聞ける場所であっただろうに。
そこに、ただ衆目の関心をひくためだけに嘘を混ぜ込もうとすることで、この場の真実を曇らせようとする人間がいるのだ、と不愉快な気持ちになったのでした。


平出隆さんの文章は美しく、静かです。
こういう本は、いつまでも読み終わりたくない、ずっとずっとこのまま読んでいたい、と思います。
わたしにとって、正直、ベルリンでなくてもよかったのです。
平出さんの丹精な案内を請いながら異国の町を歩き回り、眺め回し、何よりもその空気を吸って吐いて、の呼吸をするのがとても楽しかったのです。