赤い鳥を追って

赤い鳥を追って (ユースセレクション)赤い鳥を追って (ユースセレクション)
シャロン・クリーチ
もきかずこ 訳
講談社


これは、「めぐりめぐる月」の姉妹編だそうです。主人公は、バイバンクス時代のサラの親友ジニーです。
「めぐりめぐる月」では、サラの旅が書かれていました。そして、こちらで書かれているのはジニーの旅です。
ジニーの旅はバイバンクスの自宅から隣町チョークトンまでの25キロで、サラの大陸横断3000キロの旅に比べるとなんとささやかな距離。
だけど、その遠さは、サラの3000キロに引けをとりません。
あるとき、ジニーは、家の裏に埋もれたトレイル(古い小道)を見つけます。
すっかり埋もれていたそのトレイルが、その昔のインディアンの道であり、森を抜けてチョークトンまでの25キロを繋いでいることを知ります。
ジニーは、夏の間に、このトレイルをきれいにして復活させる決心をするのです。


ジニーは、七人姉弟の3番めで、「とるにたらないあわれなみそっかす」と思われているし、自分もそう思っています。
大勢のなかでは自分の声は無きに等しいから、話すことをやめ、望むこともやめてしまったよう。
恋をしても、相手の男の子が夢中になるのはいつもモテモテの姉で、その姉の注意を喚起するためのダシに使われ続け、失望の連続。
そのうえ、従姉妹の死、続く伯母の死、どちらもその原因を作ったのは自分だという罪悪感をずっと抱えていたのでした。
自信を持てない、なんてもんじゃない。卑屈にもなります。
自分っていったい何者なのだろうか。
トレイルをたどる旅は、自分をみつける旅でもありました。
サラの旅もジニーの旅も、とても象徴的です。実際に足を動かし手を動かさなくても、わたしたちの人生は旅の連続だからです。
ジニーの旅の物語を読みながら、決して遠い話と思えないのは、自分自身の旅と重ねているからです。


4歳のときに亡くなった従姉妹に対する罪悪感。愛する伯母の死。伯母の死後すっかり変わってしまった伯父に対する思い。
姉弟たちへの思い。父母への気持ち。男の子への気持ち。
決して一言では言えない複雑な思い、表面的な愛情やこだわり、屈託だけではなく、
自分の奥深くに封印されている気持ちまでも掘り起こす旅でもありました。
物語のはじまりに見つけ、また失った小さなコインが、この旅のキイになります。
わたしたちはミステリを紐解くように、このコインを念頭に置きながら、ジニーについていくのです。
森のなかにときどき見える神秘的な空気、伯母の赤い髪(タイトルの「赤い鳥」は伯母のことです)がふわふわと漂うような気がする夜・・・


この旅のおわりに何を発見するのだろうか、と思いながら。
・・・というよりも、乱暴に言えば、わたしは、何を発見しようとどうでもよかったのです。
みつかってしまったら、つまらないのです。ゴールインしてしまいたくなかった、という思いもあります。
埋もれたトレイルを辿る旅の途上がとても好きです。
トレイルを掘り起こすことは自分自身を掘り出すこと。
どこまでもどこまでもこうやって歩いていけたらいい、と思っていたのでした。


つい、サラの3000キロと比べてしまうのですけど(姉妹編ですからね^^)、
ジニーの場合、25キロですから、何度も家と現場(?)を往復し、その途上で新しい発見をしたり、事件に出会ったりするのです。
この何度も往復、というのも大好きでした。行きつ戻りつ行きつ戻りつ・・・そうやって、自分の道が硬固になっていく・・・
サラの旅と比べて、風景も見慣れた風景かもしれません。
だけど、見慣れた風景と一言で言えないくらいたくさんの見るものがある旅なのです。
わたしは、ジニーの旅の堅実さが好きです。
一歩一歩、掘り起こし、立ち止まり、後ずさり・・・そんな歩き方がわたしにはあっているような気がして。
頑固に一人もくもくとトレイルに取り組む姿勢も大好きです。