13の理由

13の理由

13の理由


靴の箱に入った7本のカセットテープがクレイのもとに届く。
それは、二週間前に自殺したクラスメイト、ハンナの声が吹きこまれたテープだ。
彼女がなぜ死を選んだのか。その原因になった13人それぞれにあてて、ハンナは、その理由を語っていく。
このテープを受け取った人間は、ハンナを死なせた13人の一人だ。
テープが届いたら、それを聞いて次の人に回す。
それはハンナが決めたルールだった。

どう表現したらいいのか。
決して気持ちがいいわけではない。おもしろい、とこの本のことを言うことも憚られる。
ただ、先へ先へ、読まずにいられなかった。夢中になって読み続けた。

クレイは思う。
13の理由のどこかに自分がいるはず、でも、いったい自分は何をしたのだろう、彼女を死に追い込むようなひどい何をしたのだろう。
ひとりひとりのしたことはほんとに些細なことでした。
もしかしたら彼らは、ほとんどそんなことがあったことを忘れている。
覚えていたとしても、それが原因で人が死ぬなんてありえない、と思っている。
罪の意識なんて持ちようがない、そんな些細なこと。
でも、読んでいるわたしにはわかる。
時と場合によっては、それは相手の急所に確実に効くのだ。
あるいは、ひょいと投げた小さな雪の玉が斜面を転がって巨大な玉になるように、時間をかけて相手を押しつぶすこともあるのだ。
どこにも怖ろしい場面はない。陰湿ないじめもない。執拗な濃い悪意もない。あまりに些細な出来事ばかり。
怖いのはそこです。

このテープを聞いて、もし自分の名前が出てこなかったら、ほっとするだろうか。
・・・しない。もうすでに世界の色は変わってしまった。
少しずつ加速し、重さを増していく雪だるまに押しつぶされかけながら、どうにか持ちこたえてきた少女の孤独を思う。
自殺が頭の片隅にちらつきだし、やがて、ハンナは死ぬことを決心する。
最後には、その決心が鈍らないように、後戻りすることができないように、自分を追いこむ。その描写の一文一文がぴりぴりとこちらに突き刺さってくる。
わたしは、目をそらすこともできない。吐き気がこみあげてきた。ほんとうは叫びたかった。

彼女は最後の日までに、たくさんのサインを残していた。
あのときも、あのときも、彼女を救うチャンスはあったはずなのに、だれも、誰一人、気がつくことはできなかったのだ。

最後に読者の前に差し出されるのは何だろう。
この本を読み、自分の中にもある無意識の(いや、故意の?)闇を見てしまった。
一人の少女をむざむざ死なせてしまった。
それでも、ラストは暗くない。
残されたものに示されるのは、目の前に開けたチャンスなのだと思う。




上記、2009年に書いたものです。
この本を久しぶりに本棚から取り出して、パラパラとページを繰りながらあちこち拾い読みしていたら、いつのまにか夢中になって読み耽っていた。

先日、ツイッターで、こんな言葉に出会った。(保存してていないため、正確な言葉じゃないけれど、こんな意味の言葉です。)
「何年も前のことだが、ある人が、うれしい言葉をかけてくれた。その人は、そんなことを言ったということをとっくに忘れているに違いない。そういう些細な言葉なのだけれど、今でも(何度でも)その言葉を思い出すたびに元気になる。勇気が出る。」
『13の理由』の最後の一文を読みながら、思いだしていた。
悪意の雪玉がころがりながら膨れ上がることもあれば、善意や喜びの玉が膨れ上がることもあるはずだ、と。