ベルリン1933

ベルリン1933ベルリン1933
クラウス・コルドン
酒寄進一 訳
理論社
★★★★★


ベルリン転換期の物語三部作の二冊目。
ドイツ11月革命の失敗は悲劇の序章にすぎませんでした。
あれから14年。
ドイツ共産党社会民主党は、いまだにいがみあったままなのでした。
それどころか党内でさえ、分裂していがみ合う始末。


この年、ヒトラー率いるナチ党が政権をとったのは、決して国民の圧倒的な支持を得たわけではなかったのです。
かなりの人がヒトラーを揶揄していたし、ナチの攻撃隊を与太者の集まりのように胡散臭く見ていました。
実際選挙ではナチ党の得票数はわずか三分の一。つまり国民の三分の二はナチに反対だったわけです。
まさかそのナチがドイツの第一党となり、ヒトラーが首相になる、なんて、党員以外誰も信じてはいなかったのです。
「反対していた三分の二がお互いにつぶしあったからさ。多数派がうまく動かなかったから、少数派が勝ったんだ。そして、ナチ党が勝ったほうが得するやつらがいるのさ」
とルディは言います。
皮肉なことに人々の楽観主義と油断を狡猾に利用されたのでした。


ナチの恐ろしさは、じわじわとにじみより広がっていく黒い雲のようでした。
じっと待ち、情勢の虚をつき、人の心の弱みにすりより、繰り返しによる刷り込み、
熱狂的な舞台効果による洗脳、甘い言葉と暴力、極限下で選択を迫り、手も足ももぎりとり、
そして人々の政治への不満を「共産党ユダヤ人への憎しみ」に巧みにすり替えてみせたのでした。


暗黒の時代が始まりました。
主人公は、一作目では赤ちゃんで「坊や」と呼ばれていたハンス、ヘレの弟です。この年15歳。
兄や父母の影響を受けながらも政治には無関心を装ってここまで大きくなりました。
そのハンスが社会に出る年だったのです。ヒトラーが首相になったのは。
あれよあれよというまにナチの色に変えられていく街。
限界のない理不尽な暴力と死の恐怖にさらされ、多くの人々がナチに傾倒していくのです。
必死でふんばろうとする兄ヘレたち。なのにどんどん情勢は悪く悪くなっていく。
読みながら、ものすごい急流に必死で突っ張って立っているような気持ちになりました。でも、それもうまくいかない。
ああ、なんて無力なんだろう!


ハンスは自分の進む道を考え始めます。
今まで避けていた政治に関わる話題にも無関心ではいられなくなるのです。
「信じるものを乗り換えるのはむずかしいことじゃないわ。自分の頭で考えることのほうがずっとむずかしいことよ」
ハンスの上司の夫人のことば。


一巻にひきつづきいろいろな人が出てきます。いろいろな立場の人間たちが。
何が正しく、何が間違っている、などと簡単には言えません。
彼らはこの時代を生き抜き、生き抜くために考え、彼らの言葉はすべて生きた言葉でした。
なのに、どうして互いにそれを認め、協力しあうことができないのか。
いや、だからこそ引くことができない、ともいえるのかもしれませんが。
エデは一巻に引き続きずっとヘレの親友でドイツ共産党員ですが、穏健派のヘレと違って、急進的です。
第一線で活躍してきた父ルディは現在の党のやりかたが気に食わず脱退してしまいます。
ショックだったのはハンスの姉マルタがナチの恋人のもとへ去ったことでした。
また、ロシアから戻ったハイナーの話。
共産党の政治下でのロシアの人々の暮らしは、がんじがらめにされ、ベルリンよりさらに悲惨なことになっていました。
ハンスはショックを受けます。
それは、貧困をなくし平等な社会を作ろう、と「1919」で蜂起し、
党を立ち上げたハンスの父母そしてそれを引き継いだヘレの理想とはまるでかけ離れたものでした。
そしてドイツ共産党の多くの人々は何も知らずソ連に与してもいたのです。
ふと思うのは、仮にナチにかわってドイツ共産党が政権を手にしても決して良い世の中にはならなかったのではないか・・・


重たい物語のなかでハンスとミーツェの愛が美しいのです。ほっとするのです。そこだけが明るく輝いているのです。
二人は初めてのデートで「戦艦ポチョムキン」というロシアの記録映画を観ますが、
この映画の内容がなんとなくこの物語の時代に似ているように感じます。
この映画を観たあと、ミーツェのおじがハンスに言います。
「この映画のほんとうの結末を知っていますか」
希望に向かった明るい旅立ちで終わった映画だったけれど、このあとには悲惨な結末が待っていた、というのです。
「真実というものはつらいものなのです」
この言葉が、この物語のラストと重なっていきます。


ロシアに逃げるように、との再三の両親の薦めを断り、ハンスはドイツにとどまることを選びます。
この暗黒の時代に、小さな小さな抵抗を試みよう、と顔をあげるのです。ミーツェといっしょに。この地で戦い続けようと。
・・・だけど、もはや、このラストに希望を感じることができませんでした。
ハンスたちが思っている以上にもっともっとひどいことになるのを知っているからです。
「これからもっとひどいことになる」と言いながら、これからおこることを甘くみている、と感じるからです。
これからの恐怖の時代は彼らの予想をはるかに上回っていることを知っているからです。
そんな中で、共産党的な考え方を持ったハンスとユダヤ人のミーツェに、明日何がおこるか・・・
若者らしい彼らの純粋さが、本来まぶしいはずのエネルギーが、危なっかしくて、あまりにも切ないです。
親は子どもによき人になってほしいと願い育てる。
何が正しいか自分の頭でしっかり考えることができるように、と思う。
勇気を持ってほしいと願う。
そしてそのように育った子どもは親の誇りでもある。
でも、そのために人並み以上に苦しみ、行き先には最悪の結果しか待っていないとしたら・・・
豚のような安逸より苦しみの中で誇り高く顔をあげよ、と言えるだろうか・・・わたしは自信がないです。
マルタの生き方をハンスの生き方に比べて、安全な場所から非難することは簡単だけど・・・とても辛いです。


暗い時代です。重たい物語です。でも、引き込まれ、のめりこむように読みました。
そして次はとうとう最終巻。物語の主役はヘレの娘エンネにバトンタッチされます。