七秒しか記憶がもたない男

七秒しか記憶がもたない男 脳損傷から奇跡の回復を遂げるまで七秒しか記憶がもたない男 脳損傷から奇跡の回復を遂げるまで
デボラ・ウェアリング
匝瑳 玲子 訳
ランダムハウス講談社
★★★★


それはいつどのようにして始まったのか、著者デボラはあとになっても思い出せないといいます。
兆候といえば、あのときだろうか、このときだろうか、と思っても。
夫クライブ・ウェアリングは、きわめてまれな脳症―ヘルペス・ウィルスが原因の脳の炎症で、奇跡的に命をとりとめたのでした。
ヘルペス・ウィルスが脳に感染(?)すること自体きわめてまれなことで、
激しい頭痛と意識障害に苦しみながら、診断はなかなかつかず、治療は遅れに遅れました。
その結果、命は救われたものの、彼の脳は病魔にすっかり破壊されつくされていました。
クライブは、記憶する、ということが一切できなくなってしまったのです。彼にとって時間は現在しかなくなってしまったのでした。
一瞬一瞬がたった今長い昏睡状態から目がさめたばかりのような思いで、こののちずっと暮らさなければならなくなってしまったのでした。


妻デボラは夫を救う手立てを探し始めます。
けれども求めれば求めるほどに八方ふさがりの現実に直面するばかりだったのです。
イギリスには、クライブのような人に向けた公的支援は何もなく、クライブのような人を受け入れるリハビリ施設もないのでした。
現状を打ち破るためのテレビ出演、情報収集のための渡米、記憶障害患者のための支援団体の設立、公的機関への働きかけ、
などなど、精力的に動き始めます。
障碍との戦いで感情も症状も安定しない夫を傍らで支えながらの活動でした。
ともすれば、崩れおち、嗚咽にむせびそうになる自分を鼓舞して。
当時まだ27歳だったデボラに、過去を捨てて再出発するようにとの知人の遠まわしのアドバイスも遠ざけて。


彼女のそのエネルギーはどこからきたのでしょうか。
「夫とわたしは初めて会ったときから一心同体だった」という言葉。
クライブは、すべてを忘れ去っても妻のことだけは決して忘れなかったそうです。
常に初めて目覚めた瞬間にいるクライブは、
デボラの姿を見るたびに、まるで死んだと思っていた妻が生還したのを迎えるような感激とともに彼女に呼びかけるのです
「ダーリン、愛している」と。
何が起こっているのかわからない苦しみにのた打ち回りながらクライブにとってデボラへの愛はいかなる瞬間にもゆるぎませんでした。


実際、デボラ自身自分の新しい道を探そうと思ったこともあったのです。
彼女と彼女に協力する人々の努力の結果クライブの今後の生活が保障されたのを機に再出発しようと。
でも、それは、「夫とわたしは初めて会ったときから一心同体だった」ことを再確認することになっただけでした。
彼女は戻ってきたのでした。もっとも困難な生活のなかに。
デボラは言います。

>記憶障害は、それだけに目を奪われると、信じがたいほど恐ろしいものに見える。けれども、わたしが見ていたのはクライブで、彼は、人が自分について知っていたことをほとんどすべて失っても、相変わらず自分でありつづけるということの、生き証人だった。
デボラは障碍をみてはいませんでした。常にクライブの魂に魂で接していたのだと思います。
愛という言葉、簡単に言ってしまえるものではないけれど、この二人の愛こそ奇跡と呼びたい、と思うのです。


最近、クライブは、少しずつ長いセンテンスの言葉を語ることができるようになっているそうです。
それは回復したのではありません。失われたものは戻らないのかもしれません。
けれども、デボラに支えられながら新しい記憶が、少しずつ生まれ始めているのかもしれません。
長く暗いトンネル。先の長いくらいトンネル、とわたしは思うのです。
でも、この二人はこのくらいトンネルの中で寄り添い、光を探して歩き続けます。
そして何よりも明るい光はお互いの心のうちにあることを知っています。