ひとり暮らしののぞみさん 蜂飼耳 大野八生 絵 径書房 ★★★★ |
のぞみさんのへやには一人暮らしの女の子のへやにどうしてからっぽの鳥かごがあるのだろう。
おおきな おおきな
鳥かごが ある。
鳥かごのなかには なにも いない。
鳥かごは からっぽだ。
のぞみさんはいつか鳥を飼っていたのだろうか。その鳥はどうしたのだろうか。
今はからっぽなのだね。
そして、空っぽの鳥かごは少しずつ大きくなっているのだね。
気づいているけど、見ないようにして、気にしないようにしているのぞみさん。つまり気になって気になってしかたがない。
この鳥かごはのぞみさんのからっぽの心のよう。
ひとりぼっち、孤独。少しずつふくれあがって部屋いっぱいになってしまいそうな からっぽの心。
もてあましているけれど、どうにもならない。放り出すこともできないのです。
やがて、この鳥かごとの奇妙な共同生活(?)に変化がもたらされます。
二羽の小鳥がやってきて、この鳥かごの中で、のぞみさんといっしょに暮らし始めるのです。
そうして、のぞみさんは孤独から救われることになるのです。
だけど・・・
三から二をひいて 一になったともいえるが はじめから一だった ともいえるのだった引き算ではない。そしてきっと足し算もはじめからなかったのだと思います。
それは寂しい言葉ではありません。
「一」という数字は、その場の状況により二になったり三になったりするようなあやふやなものではない、ということだと思います。
自分はいつも変わらない一である、ということを自分で認めること、
それだからこそ安心して、ほかのあの一やこの一といっしょに歩ける、いっしょにいられる。
それだからあの一やこの一が去ってもやっぱり一でいられる。
そういうことなのだと思います。
鳥かごは小さくなって、普通の鳥かごにもどっていました。
季節はずれのふうりんのちり ちり という音も耳にとまります。
のぞみさんの生活のなかに余裕があるのを感じます。
一である自分をゆっくりと味わいながらあの一やこの一に思いを馳せる時間を楽しんでいるよう。
空っぽの鳥かごは鳥かごでしかなくて、それ以上にはもう何の意味もないように思えます。