からすが池の魔女

からすが池の魔女からすが池の魔女
E・G・スピア
掛川恭子 訳
岩波書店
★★★★


1687年のニュー・イングランドは、ピューリタンの社会。清貧と労働を尊ぶ教会中心のストイックな社会だったようです。
一面偏狭に自分自身を縛り上げる社会でもあったかもしれません。
信仰のもとに魔女裁判も横行し、急進的なクェーカー教徒が迫害されたりもしました。
イギリスの植民地であり、自治をかけて温厚派と強硬派が時にぶつかりあったりもしていました。


キット・タイラーは、バルバドス島で、裕福な祖父のもと、奴隷にかしずかれ、贅沢な生活を送ってきました。
そして、心豊かな祖父の教育のもと、自分の意思をはっきり持った奔放な少女に育っていました。
しかし、祖父を失って、孤児となった彼女は、
たった一人の身内であるレイチェル伯母とその家族を頼ってニュー・イングランドにやってきたのでした。


キットにとってニュー・イングランドの生活は暗く苦しいものでした。
鍋で石鹸を煮て、夏のさなかに汗水流してろうそくを作る、羊毛も紡がなければなりません。
戸外では延々と続く畑の草むしりがありました。
労働などしたことのないキットは、同じくらいの年頃のいとこたちのようには何一つ満足にできず、苦しみます。
でもそれ以上に彼女を苦しめたのは、周りの人々のピューリタンとしての偏狭な考え方でした。
南の島でおおらかに育った彼女にとって、それはまるで心に鎖をつけられたようなものではなかったか、と思います。


そんな折、草原の向こう、誰もよりつかないからすが池のほとりで村八分状態で暮らす老女ハンナと出会います。
彼女はクェーカー教徒で、額に焼印を押され、村人からは魔女と呼ばれて恐れられていました。
キットは、彼女のもとで癒され、心やすらかになり、ありのままの自分を受け入れられたように感じます。


と、これが物語のほんのさわりなのです。ここから、様々なドラマが展開されます。
キットが、少女から自立した女性になるまでのまさに成長物語ですが、物語はドラマチックです。
この時代の多くの歴史的な事件や、時代の雰囲気などを、しっかりと絡ませながら物語は進みます。
そして、キットという少女はもちろん、彼女に関わるすべての人々がとても魅力的なのです。
一面的ではない、人間くさい人たち。
それぞれが簡単にどういう人たち、と一言では言えない。弱みもあれば、温かみもある、憎しみもあれば苦しみもある。
迷い、戦い、そのうえでそれぞれの個性を輝かせながら必死で生きている人たちでした。


わたしは老女ハンナの貧しい小屋の様子が好きです。
初めてこの小屋を訪れたキットは、何一つ飾りもない質素な部屋を「きれいなへや」と思いますが、それは、なぜか。
「すべすべするくらいきれいに磨きこまれた床でひかっている日の光のせいかもしれないわ。ちょうど目のまえにしまになってさしている日の光のように、手をのばせばふれられるくらい、やすらぎがへやいっぱいにみちているからかもしれないわ」
と、キットは考えるのです。
この部分を読むとふうっと大きなやすらぎに満たされるのを感じます。わたしもハンナの部屋が好き、と思うのです。
そして、ハンナのすてきさをあらわす場面はたくさんあるのですが、
忘れられないのは、美しい故郷を思って寂しがっているキットに、家の外に植えられて育っている南国の花を見せるくだり。
「この花は、はるばる、アフリカの喜望峰からやってきたんですよ。私の友だちが球根をもってきてくれたのです。小さな茶色のもので、ちょうどタマネギのようでしたっけ。とてもここでは育ちそうもないとおもったのに、どうやらその小さな球根はどうなるものかできるだけ努力してみようと決心したらしいんですよ」


もうひとり忘れられないのはキットを慕うプルーデンスという少女です。
偏屈な母親にほとんど虐待に近い育てられ方をして、読み書きもできない少女。おどおどと不安そうで自信も持てない様子。
でもキットはこの少女の中にきらっと光るひらめきを見出します。そして、こっそりとこの子に文字を教え始めるのです。
この少女の変わりようがすばらしいのですが、この少女の成功が、キット自身の成長と重なるのです。


この本の中で一番印象的だったのが、イルカ号の存在でした。
イルカ号はバルバドス島からキットをニュー・イングランドに運んできた船であり、
船長の息子ナットは重要な役回りで、この本の中にたびたび登場するのです。
ニュー・イングランドの色のない暗い生活のなかで、キットが憧れ続ける自由。南の島。
美しい南の島で愛され奔放に育った少女が、土色の暗く冷たいニュー・イングランドの地で、禁欲的な生活を余儀なくされるという事実。
どんなに辛いことでしょう。
それなのに、この本に閉鎖的なイメージはない、むしろ、この本のイメージは、広々とした海に繋がるです。
それは、川をのぼりくだりするイルカ号のイメージなのです。
イルカ号の真っ白い帆は、キットの憧れが形になったものでした。
せつないくらいに美しいイルカ号。キットにとって、そして、キットに感情移入している読者にとって、イルカ号はニュー・イングランドの太陽でした。


1959年ニューベリー賞受賞作。なんとまあ、半世紀前です。