リバウンド

リバウンドリバウンド
エリック・ウォルターズ
小梨直 訳
福音館書店
★★★★+


>打てるシュートは、ただ打つだけの話。問題は、入らなかったやつを、どう入れるかだって。リバウンドの話だよ。
引き込まれて夢中になって読みました。
バスケットが好きなショーンと転校生デーヴィッド。
ショーンはデーヴィッドと付き合ううちに、「今まで会ったやつのなかで、最高に強い、最高に勇気のあるやつ」と思うようになります。
「どんなことにもひるまないし、だれがなんといおうと、やるべきことはやるやつ」だと。
デーヴィッドは交通事故で両足を失い、車いすで生活しています。
二人の初めての出会いは、けんか。口が悪くかっとなりやすい二人。
先に手を出したのはデーヴィッドで、ショーンに六発もパンチをくらわします。
そのけんかのおかげで、ショーンは罰として、学校での転校生デーヴィッドのホスト役を引き受けなければならなくなります。
理不尽と思いながらも、今年はバスケのレギュラーを狙っているので問題を起こしたくないショーン。
最初はデーヴィッドにいやいや付き合いますが、なんでもひとりでこなすデーヴィッドには実際ホストなんか必要なかったのです。
ショーンは、少しずつデーヴィッドに惹かれていきます。
デーヴィッドはデーヴィッドで、
最初から車いすの自分を特別扱いしなかった(何しろいきなりけんかだったからその暇もなかった)ショーンに対して好意を持ち始めていたみたい。
それでも、ときどき、不機嫌になるデーヴィッド。「おまえにはわからないよ」という言葉による締め出し。


読みながら、何度打ちのめされたような思いに陥っただろう。
自分の薄っぺらさと面と向かい合わされたような気がしました。
侮蔑やからかいなどの仕打ちをすることと、頼んでもいないのに必要以上に親切に扱ってもらうこと。
ともに屈辱的な扱いだと、デーヴィッドは激しく怒ります。
相手の状態を理解できないし、自分とは関係ない、という無関心が心のどこかにある。
勝手に相手を社会通念(?)の範囲で「弱者」として扱っているだけ。
対等な人間関係の上での親切でないなら、侮辱と同じなんだということが強く描き出されます。


デーヴィッドといっしょに一日車いすで過ごしたショーンは、座った位置から見える風景は、車も人も巨大でおそろしいこと、
どこもかしこも動きずらく、その上おしりが痛く苦しいことなどを経験します。
ショッピングセンターでは、ベビーカーのように扱われたり、知能が足りないかのように丁寧にされたり・・・
ショーンは打ちのめされます。
そんなショーンにデーヴィッドは言います。「車いすに乗るってことは、一種の公共物になるってこなんだ」と。
そして、ショーンは「ずっと車いすで過ごさなければならない生活ってどんなだろう」と考えます。

>・・・じっさいに体験しているデーヴィッドにしか、それはわからないことなんだよね。でも、ひとつだけ、足が動かせないだけで人生の、世の中の、なにもかもが変わってきてしまうってことだけは、おれにもよくわかる。
デーヴィッドは魅力的な少年です。
彼の生き生きした表情やしぐさ、度胸。
ショーンが彼に惹かれ、ほとんど尊敬の気持ちさえ持ったように、わたしもどんどん彼に惹かれていきました。
ことにバスケットの2対2の勝負は見所。おもしろかったし、すてきでした。
・・・だけど、その胸の内の本当の思いは・・・。決して癒えることのない傷、絶望・・・
こんな彼を前にしたとき、わたしは自分の薄っぺらさが情けなく、言葉を失ってしまいました。
何が言えるか、何ができるか、どんな言葉もどんな思いも彼を傷つけるだけにしかならないということに気がつき、
無力感でいっぱいになってしまうのです。


バリアフリー、という言葉があるけれど、形やマニュアルではなくて、
私たちの「心」がまず本当の意味でのバリアフリーにならないかぎり、わたしたちはデーヴィッドの気持ちは永遠にわからないかもしれません。
同時に、デーヴィッドたちのような人たちのほうからもそうでない人たちに対してバリアフリーになれる環境にならなければ、
いつまでも苦しみ傷つき続けるしかないように思います。
難しいけれど・・・、
そして、実際デーヴィッドの立場になったことのないわたしに言う権利があるかどうかもわからないけれど、あえて。
たとえば、ささいなことですが、ショッピングセンターのドアを開けて、誰かのために押さえておいてあげるのは、
対等な人間同士としての思いやりなのだ、ということが、お互いにわかっていなければならない、ということだと思うのです。
誰もが屈託なく押さえておいてあげる、押さえておいてもらう。障碍があるなしに関係なく・・・


悪い友人との腐れ縁に悩みつつ優柔不断でいたショーンなのですが、デーヴィッドと絡み合い、深い絆を結んでいくうちに、
デーヴィッドの心の傷に触れ、真の友情を築きつつ、ぐんと成長します。いつの間にか過去を振り切るまでに。
これは、つまり、デーヴィッドとショーンは、互いに対等な関係で、
ショッピングセンターのドアを押さえあうことができている、ということではないでしょうか。
この文章の一番上に掲げた言葉は、デーヴィッドの口から出た言葉ですが、
デーヴィッド自身はもちろん、ショーンもまた、見事にリバウンドに成功しているのです。


どの子もどの子も自分の可能性をかけて未来に向かって歩き出すことができれば、と祈らずにいられません。
だれもがリバウンドできるように。
バスケじゃない現実の人生の中で、何回失敗しても、何回だってリバウンドする勇気がもてますように。