ジェミーと走る夏

ジェミーと走る夏 (ポプラ・ウイング・ブックス)ジェミーと走る夏 (ポプラ・ウイング・ブックス)
エイドリアン・フォゲリン
千葉茂樹 訳
ポプラ社
★★★★★


キャスが12歳の夏、父さんは隣の家との間に大きなフェンスを立てました。
老婦人ミス・リズが亡くなってから長いこと空家だったこの家を「黒人」の家族が買ったことを知ったからでした。
父さんは「黒人」が大嫌いだったのです。
この家に引っ越してきたルイス一家のジェミーは飛ぶように走ることができる少女。キャスも足が速いことが自慢です。
嫌い合った二軒、行き来することはない、と思っていた二人の同学年の少女は、
ひょんなことから声を掛け合い、やがて、どちらが速く走れるか、競おう、と約束します。
これがきっかけとなって、二人の間に、少しずつ心が通い始め、無二の親友となっていきます。
けれども、二人の交友には多くの障害があったのです。


そんな人たちばかりではないだろう、と思うけれど、
実際、キャスのおとうさんやアンディのような人たちはきっとまだまだたくさんいるのだと思います。
染み付いた偏見は、そんなに簡単に消えるものではありません。
でも、キャスやジェミーにとって、人にどう思われるか、とか、行き来を禁じれることとか、よりも、
一番不安なのは自分自身の気持ちだったのではないでしょうか。
買い物に行ったとき、「黒人」である、というだけで盗みの疑いをかけられたジェミーに寄り添いながら、
ちらりと彼女のことを疑ったキャスは、そのちいさな疑いのことをいつまでも重たく抱え込みます。
また、ジェミーは、学校が始まっても二人の関係がこのまま続くかどうか本当は自信がないのです。
12歳の少女たちの不安は、差別というものがどんなに根深いものか、を語ります。
知らないうちに自分の心にそっと植えられ、知らない間に芽をふきつつあるもの。
彼女たちは、たくさんの事件や障害にぶつかりながら、友情を深め合い、たくさんのことを深く深く考えます。
そして、成長します。
たった一夏、惨めなはずの夏だったのに、なんとなんと大きな意味深い夏になったことでしょう。


ジェミーのおばあちゃんグレースがとても素敵です。辛く険しい人生であったはずなのに、この穏やかさ、やわらかさ。深く大きな心。
彼女の印象的な言葉はたくさんあるのですが、特に忘れられないのは、
「白人と黒人は水と油みたいなものでね、いくらかきまぜても、まじり合うことはないのさ」という言葉。
そう言いながら、こうも言います。
「おまえたちふたりが仲良くしているところを見ているとね、あたしは思うんだよ。いつか、なにもかもが変わる日がくるかもしれないって。なにもかもが、よくなる日がね」
これは、この作品を貫くテーマと思います。
物語は感動的ですが、決してそんなに簡単にうまくいくわけではない、ということを読者は意識します。
「黒人」たちが教育を受け、責任ある地位につき、社会的に認められる仕事を成し遂げている現在でも、
それは「特別」であり、「黒人」と「白人」の関係は変わっていない、と聞いたことがあります。
それは遠く離れた国に住むわたしたちにもいえることです。悲しいことに、私たちの中にも「差別」はあるのですから。
そして、別の国では私たち自身が被差別民かもしれないのですから。
―それでも、ううん、だからこそ、この物語は、グレースばあちゃんの言葉ではないけれど、
「いつか、なにもかもが変わる日がくるかもしれない」という作者の強い願い、祈りの物語なのだ、と思うのです。
祈りと信念によって作者は二人の少女を、チョコレート・ミルクを生み出したのだと思うのです。


最後のレースは、多くの意味を持っています。二人の少女のゴールインに、そして彼女たちがもたらしたものに、思わず涙があふれます。
それは彼女たちにとっては思いがけない偏見からの「勝利」であるとともに、自分自身に対する「勝利」でもあったと思います。
清清しいまでに見事な自立を果たしてもいるのです。
二人のはいていた靴の「COMET」=彗星、という文字が美しいです。
二人、星のように、どこまでもどこまでも気持ちよく駆け抜けて行ってほしい。
わたしたちをより高い良い世界へひっぱっていってほしい。
彼女たちの星が多くの人たちの心に光をもたらしますように。