ルビーの谷

ルビーの谷 (ハリネズミの本箱)ルビーの谷 (ハリネズミの本箱)
シャロン・クリーチ
赤尾秀子 訳
早川書房
★★★★


ダラスとフロリダですって。まったくこんなふざけた名前のつけかたってあるだろうか。
孤児院の前に、段ボール箱に入った双子の赤ちゃんが捨てられていたのは13年前。
そのダンボール箱に敷かれてたパンフレットの中の地名をそのまま子どもの名にしてしまっただなんて。
こういう院長夫婦の経営する孤児院で、双子は育ち、里親にもらわれていっては「問題児!」と返されて、とうとう13歳。
子どもが問題児なら大人こそ問題大人、と双子は、すっかり大人を信じることができなくなってしまいました。
子どもを問題児に育て上げる一番簡単な指南書になっておりますです、はい。
この院長夫婦も、里親たちも、こんなのありえないでしょうってほどひどい大人たちです。
あまりに極端すぎて、この人たち、どうしてこんな大人になったのか、何かわけがあるはずだ。
そのわけを知りたい、と思ってしまった。


でもとにかく、こうして育った二人が13歳のひと夏、ルビーの谷の老夫婦ティラーとセアリーと過ごすことになりました。
子育てを終えて、二人きりの暮らしになってずいぶん久しい老夫婦。
いつもいつもずっと二人いっしょだった夫婦が別々の場所に旅行に出ようとしています。
そして、いつもいつもずっといっしょだった双子のダラスとフロリダが、別々に、この夫婦のどちらかといっしょに旅に出る予定です。
でも、双子は何一つ期待なんかしちゃいません。どうせ大人はみんな問題大人。
さっさと逃げ出して、夜汽車にのって、ふたりだけで旅発とう・・・


老人と子ども。美しい谷の風景。
このあとどうなるか、大体の見当はつきますよね。でもね、大切なことはもちろん、その過程なのです。


お人よしでやさしく前向きなおばあちゃんセアリー。
セアリーを愛する朴訥としたやさしい「ハンサムな(この言葉は絶対つけなくてはね)」おじいちゃんティラー。
老いを感じさせない若若しさと、歳相応の落ち着きのバランスが微妙なおかげで、とってもチャーミングな二人なのです。
このほんわかした二人に比べると、逆境育ちの子どもたちのほうがはるかに老長けた感じなのですが、
かたくなにこりかたまった二人の心は、だんだんに解きほぐされていきます。


二人の老人はひたすらに急ぐことをしない人たちでした。
何もかもがゆったりとした平和な谷間の暮らしは、ゆっくりと待つことにこんなにも似合っているのです。
待つ、ということは、相手への信頼があること。信頼があるということは、相手を認めようということ。
相手を認めるということは、相手ときちんと向かい合おう、とすることです。
今まで会ったことさえない子ども、性格も何もわからない子どもを手許に置く、ということは、
相手に正面から向かい合い、自分をさらけ出し、相手がどんな子であろうとまるごと受け入れようとすることでした。
そうして、信頼関係が作られていくためには時間が必要なのだと知っていることでした。
そういうことを知って、実行できる人って、なかなか居ないと思います。
でも、そういうことができる人は、できない人と何がちがうのか。
わたしは、ユーモアかなあ、と思います。余裕があるのです。
この本の老人たち、
それから「めぐりめぐる月」のおじいちゃんとおばあちゃん、
「トレッリおばあちゃんのスペシャルメニュー」のおばあちゃんに共通するものはこの余裕、と思います。


ティラーとセアリーは、子どもたちに向かいあいながら、実は自分自身とも向かいあっていたのです。
子どもを鏡にして、自分の中の、自分でも気がつかなかった心の奥のある感情に気がついていきます。
今まで他人だった老夫婦と双子がいっしょに暮らすことによって、お互いの心に変化が訪れます。


ほのぼのとした物語として終わるわけではありません。
終盤に向かうにつれて緊迫した事態、思いがけない事件、冒険の物語になります。
怪しい人物も出てきます。謎もあります。さてさてどんな解決が待っているかな。
そして、最後のベーコンの匂いのところでは鼻の奥のほうがつーんとしてきました。
明日から朝ごはんに出すベーコンに、わたしも「〇〇〇〇〇〇ベーコン」って長ーい名前をつけてみようかな。


さあ、これから先は・・・どうなるのでしょう。何もかもきちんと納まるところを見ずに、幕引きとなりました。
でも、幕の後ろで何がどのように進行しているのか、ちゃんと見える様な気がするのです。
それがとってもうれしいな。
ひとつだけ、確かにいえることは、
このあと、ルビーの谷では、ご近所さんとのお付き合いが大変密になっただろう、ということです。
るんるん、めでたしめでたし、ね。