イシ―北米最後の野生インディアン

イシ―北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫―社会)イシ―北米最後の野生インディアン
シオドーラ・クローバー
行方昭夫 訳
岩波現代文庫
★★★


白人による虐殺から落ち延びて森に潜んだ4人のヤヒ族の男女。
長い年月を経て、仲間を失い、ついに誇り高いヤヒ族は、ひとりぼっちになってしまった。
著者は、白人のインディアン迫害について、あくまでも客観的に事実として書いていますが、
客観的であればあるほど、その残虐さが際立つようでした。
序文をよせたアーシュラ・K・ル=グウィン(著者の娘でもある)がいみじくも「ホロコースト」という言葉を使ったように、
これは虐殺であり、白人にとってインディアンは人間でさえなかったのだということを知るのです。


911年8月、やせこけた壮年の「インディアン」がひとり森を出て、カリフォルニアの山間の町オロヴィルにあらわれた。
彼がイシでした。「インディアン」にとって本名は大切なもので、簡単に自分以外のだれにも明かしてはいけないもの。
彼は最後まで決して本名を明かしませんでした。
それで、彼の白人の友人たちが、のちに彼をイシと名づけたのでした。
イシとはヤヒ族の言葉で「人」という意。


カリフォルニア大学博物館がイシの家となります。
彼はここに小使いとして働き、給料を得、同時にヤヒ族の言葉、文化を白人たちに伝達する役割を担っていきます。
彼の親友は生涯に三人でした。
人類学者トーマス・タルボット・ウォーターマン博士、
博物館館長アルフレッド・L・クローバー博士(著者の夫君)、
博物館付属病院のサクソン・ポープ医師。
イシを金儲けに利用しようとしたさまざまないかがわしい連中はもってのほかですが、
それよりも、イシとその周りの人々を悩ませ、疲れさせたのは、大勢の善意の人たちであった、ということは心痛むことでした。


著者は、感情に走ることなく、客観的にイシの生涯の物語を描いていきます。
彼の暮らしぶり、彼が語った言葉、どんなことに興味を示し、どんなことを嫌ったか・・・
でも、読みながら、なんだか洋服の上から痒いところを掻いているような気持ちに悩みました。
イシという人間の中に今一歩入り込んでいけないのが歯がゆいのです。
イシが白人たちと暮らした期間があまりに短かったせいかもしれません。
そのため、双方のあいだにある溝が本当には、どのあたりまで埋められていたのか、よくわからないのです。
そして、これは、この本に対して好感が持てる理由でもあるのですが、著者があくまでも事実に忠実であろうとし、
感情や憶測だけで物語を埋めることを避けたせいでもあります。
そして、何よりもわたしの感傷的な主観のせいなのです。
なんといっても、イシは最後のヤヒ族。たったひとりの生き残りです。
そして、嘗て自分の一族を虐殺した白人たちの築いた世界で、白人たちの中で暮らしている、ということに、
やりきれないものを感じずに居られないのです。
イシは我慢強く誇り高く、博物館で白人たちに囲まれて、白人の文化の中で生活しながらも、
決してヤヒ族としての誇りを捨てませんでした。
それだから、最後まで、もっとも親交の厚かった(ともに尊敬しあった)三人の友人たちにさえ、本名を明かさなかったのです。
タバコも吸いませんでした。
ヤヒの文化の中では、たばこは祈りや身を清めるために吸うものであったからです。
またヤヒの伝統に従って髪をのばしていましたが、ひげをたくわえることはしませんでした。
彼は、白人の中にいて、忍耐強く優しく、でも、最後まで、ずっと誇り高いヤヒ族でした。
結局わたしも、イシを悩ませた「善意」の無責任な人々といっしょなのかもしれません。
勝手にイシの人生を切ないものに感じているのだから・・・


この少ない情報の中でわたしたちはイシの高貴な精神を垣間見ます。
それは、彼の友人たちが、彼に対して最後まで尊敬を持って接していたからでもあるのだと思います。
イシの最期によせたホープの言葉が印象的です。

>そのようにして、我慢強く、何も恐れずに、アメリカ最後の野生インディアンはこの世を去った。彼は歴史の一章を閉じる。彼は文明人を知恵の進んだ子ども――頭はいいが賢くはない者と見ていた。われわれは多くのことを知ったが、その中の多くは偽りであった。イシは常に真実である自然を知っていた。彼の性格は永遠に続くものであった。親切で、勇気があり、自制心も強かった。そして彼はすべてを奪われたにも拘らず、その心にはうらみはなかった。彼の魂は子どものそれであり、彼の精神は哲学者のそれであった。
とりわけ最後の一行を繰り返し読みました。


少し気になったのは、タイトルにもある「野生」という言葉です。
実際、「野生インディアン(Wild Indian)」という言葉は、当時新聞などでとりあげられた言葉だったのでしょうが、
なんだか違和感があります。
野生の植物、野生の動物、という言い方はしても、人間をあいてに「野生」という言葉を使うものでしょうか。
私の偏見かもしれませんが。
野生のインディアンではなくて、イシは最後のヤヒ族でした。ヤヒ族の文化習慣倫理観によって生きていました。


彼の最後の言葉は「あなたは居なさい。ぼくは行く。」でした。