国境まで10マイル―コーラとアボカドの味がする九つの物語

国境まで10マイル―コーラとアボカドの味がする九つの物語国境まで10マイル―コーラとアボカドの味がする九つの物語
デイヴィッド・ライス
ゆうきよしこ 訳
福音館書店
★★★★


タイトルの「国境」はメキシコとアメリカ合衆国の国境のこと。
テキサス州は、昔メキシコ領(戦争に負けてアメリカにとられた)だったため、今も、メキシコ系の人々が暮らしています。
スペイン語と英語が入り混じった言葉、
アメリカの文化とメキシコの文化が混ざり合い、
独特の文化(テックス・メックスというのだそうです)が生まれました。
メキシコ風のさまざまな風習は珍しいし、楽しいのですが、
それとともに、なんでもない普通の日々に見えるあれこれに外国を感じました。
信仰と結びついた日々の暮らし、同時にまじないや魔法なども信じている人たち。
大家族で、親戚まで含めての繋がりの深さ、大切さ。父権の強さ。・・・などなど


物語は、テキサス州も最南端、リオ・グランデ・バレーの、国境まで10〜20マイル程度の小さな町。
人々は、国境の検問所を通り、国境を越えて通勤し、買い物に出かけ、知人を訪ねあったり、という生活をしています。
感じるのは、アメリカの豊かさ(どの物語の人たちも決してすごく豊かじゃないけれど)に比べて、メキシコの暮らしの貧しさです。
メキシコから合衆国側に働きに来る人たちはいても、その逆はたぶんないのです。
そして、合衆国側の人々は、物価の安いメキシコに買い物に行くのです。
地続きで、一日に何度だって行ったりきたりできる場所なのに、国境という線を越えただけでこんなに違うのです。空気の匂いさえ。


彼らは決して豊かではない。だけど、貧しさがなんだというのでしょう。
この9つの短編から感じるのは、とても大きなエネルギーなのです。
ラテン系の輝くようなエネルギーに満ちています。
103歳の堂々としたおばあちゃんも、ミ・ラケ・チュロ・ヨ(たいした色男)のおじいちゃんも、
さらにはぶっとんだ犬までも!熱い熱い。
そしてただ熱いだけじゃない。限りなく優しい。愛情深く、誇り高い。そう誇り高いのです。
メキシコ人の誇りでしょうか。
アメリカ人である誇り』という短編は、なんと皮肉に満ちていることでしょう。
民族としての誇りを捨てて、白人文化にへつらって、卑屈になっている人たちが悲しくおかしいのです。
そこで、『カリフォルニアのいとこたち』では、卑屈なくせに同胞にはでかい顔をする輩に、
悪ガキ二人が敢然と闘い(?)を挑む。
土臭くエネルギッシュに、ひたすらユーモアたっぷりに。「メタンガス」・・・には、思わず噴出してしまいました。


9つの短編は全部味が違います。
どれも、ティーンエイジャーが主人公。
思春期の入り口でどきどきしたり、人々のふれあいの中で感じたり考えたり、悩んだり、恥じ入ったり・・・
でも、どれもからりとしたユーモアに、うふふと笑ってしまう。どこの国のティーンエイジャーもいっしょ。
彼らはちっともかっこよくないけど、きっと自分の人生に誠実なんだと思う。
だから、彼らの目で見た光景に立ち止まり、心動かされる。温かい後味をじっくり味わいたいと思うのです。


好きなのは、『もうひとりの息子』『さあ、飛びなさい!』『最後のミサ』・・・それから『パパ・ラロ』『ぶっとんだロコ』。
『さあ、飛びなさい!』のマナおばさんはほんとにすてきで、
あんなふうに清清しくかっこよく年をとっていくためにはまだまだ修行が必要ですね。
『ぶっとんだロコ』は、最後のお母さんの言葉がよかった。ロコ、きっと元気にたくましくやっているんだろうなあ。
もう一度会いたいね。
『もうひとりの息子』、ラスト一行の「ぼくは答えなかった」にやられました。
どれも最後の数行でぴしっと締めた感じがいいのです。