海のたまご / リビイが見た木の妖精 (二冊)

海のたまご (岩波少年文庫 (2142))海のたまご
ルーシー・M・ボストン
猪熊葉子 訳
岩波少年文庫
リビイが見た木の妖精
ルーシー・M・ボストン
長沼登代子 訳
岩波少年文庫


「海のたまご」 ★★★★

両親といっしょに海辺の別荘に泊まっている二人の少年トビーとジョーは、ある朝、エビ捕りの老人が見つけた卵型の石を売ってもらう。
二人だけの磯のプール(秘密基地のような場所)にそっとこの「海のたまご」を置く。
このたまごはもう今にも孵りそうだと思ったから・・・


訳者はあとがきで「物語の真の主人公は『海』なのではないでしょうか」と言っています。
ほんとにそのとおりだと思います。
「グリーンノウ」シリーズの主人公が「家」であるように、この本の主人公はまさに海。
少年の目を通して、少年の体験を通して、その皮膚感覚を通して、
さまざまな海が、この物語を読んでいるわたしの中に流れ込んでくるようでした。
ただ、この海は荒々しい海、というよりは、夏の温かい海。私たち生き物の故郷、母、としてのイメージです。
そして、さまざまな音や色などを交えて、この海の、刻々と変わっていく姿を詩のように描き出す描写がなんとも言えず美しいのです。
ことに印象に残っているのは、

>「おしえてあげよう――。」と小さな波のひとつひとつがいいかけては、「おお」という息のつまったような声をあげてうしろにひきもどされていきます。そしてまたつぎの波がうち寄せてきては、「そんならわたしがいってあげる――。」といいかけるものですが、波はまたひきもどされ、けっきょくなにもいわないまま、いえないままに終わるのでした。
わたしも波の声を聞きたくなりました。でもきっと「秘密」を語る前に引き戻されていってしまうのでしょう。


この夏、少年たちは素晴らしい体験をします。
ことに、真夜中の海での冒険は圧巻でした。
ただ、冒険といっても、はらはらどきどきする、というのではなくて、とても静かで、まるで夢のようなのです。
静かで、懐かしいような不思議な体験。


少年たちは自分たちが見たものを他の人たちから隠そうとしましたが、その必要はなかったのかもしれません。
あるわけない、と思ったら、目の前に現れたものさえも見えないのかもしれない・・・
信じること、あるがままに見ようとすること・・・


それにしても、大人って、子どもに「よかれ」と思いながら、余計なことばかりやっているものですね。
とても子ども思いでおおらかなすてきなおとうさんとおかあさんなのに、
子どものためにしてあげること、わが子たちを信じる気持ちも、本物なのですが、少しずつずれているのを感じます。
ないはずのものは存在しないのだとそれ以上に考えない大人と、夢も生活もみんなまとめて現実になっている子どもたちとの齟齬、なのかな。


夏が終わり、少年たちは海を去ります。
幼子を養うゆりかごのようだった海も、姿を変えます。
青年期の荒々しさがやってくるのでしょう。
高らかに海のラッパが鳴ります。



「リビイが見た木の妖精」 ★★★★★

いっしょに読んだ「海のたまご」でも感じたのですが、
この作品も、読書中、ずっとレイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」(感想はこちら)を思い出していました。


大好きです。
グリーンノウのマナハウスを彷彿とさせる屋敷のたたずまい、まわりの広がる田園風景――自然描写の素晴らしさ。
大雨が降れば、屋敷前の川が洪水するに任せ、庭がすっかり水に埋まるのを恵みと感じる生活。
リビイは、6月の一週間の休みを、この屋敷の持ち主ジューリアさんとともに過ごします。
ジューリアさん(あとから出てくるジューリアの弟のチャールズも)まさにセンス・オブ・ワンダーの持ち主です。
それは「海のたまごの二人の両親となんと対照的なのでしょうか。
リビイは、ここで素晴らしい体験をします。
「海のたまご」で少年たちが自分たちの体験を両親にだまっていたように、リビイもまた、ジューリアたちには何も言いません。
でも、それは「海のたまご」の少年たちが黙っていた理由とはまるっきり違うのです。
リビイが何も言わないのは、言う必要がなかったからなのです。言わなくてもわかっていたからなのです。
(お休みが終わって家に帰ってから、おかあさんに話さなかったのとはもちろんまるで意味が違います)
この本の原題は「Nothing Said」・・・何も言わない。
この「言わない」が、少女を大人にします。センス・オブ・ワンダーを身につけた大人に。
センス・オブ・ワンダー=未知のもの、神秘的なものに目を見張る感性)

>だけどこれ以上はいわないで、みんな心のなかに、たいせつにしまっておくことにしました。
素晴らしい最後の一行でした。



「よみがえった化石ヘビ」 ★★★★

「リビイが見た木の妖精」併録の短い作品ですが、太古から現代へとつながる不思議なきずなのようなものを感じます。
ヘビが嫌じゃない、どころかその魅力に夢中になってしまうのは、
ウンゲラーの絵本「へびのクリクター」とこの本くらいかも(笑)
そして、リコーダーの笛の音がなんと効果的なのだろう。
最後のシーンの神秘的な美しさは言葉を失います。
自分のなかに流れ続けるはるかな時代の記憶のかけらがゆすぶられるような気がします。
自然は、ときにこんな不思議なこともやってのけるのかもしれません。
へびはこれからどこへ行くのでしょうか。太古から時を渡って、新しい時の流れの中に解き放たれて。