空と樹と

空と樹と空と樹と
長田弘 詩
日高理恵子 画
エクリ
★★★★


>樹は話すことができた。話せるのは
沈黙のことばだ。そのことばは
太い幹と、春秋でできていて、
無数の小枝と、星霜でできていた。
詩は、言葉。だけど、なんという静かな言葉だろう。
この本の中にいると、まわりに音があることも光があることも、空気があることさえも忘れてしまいそう。
空気も光も音もそう思わせる言葉でできているから。なんて静かなんだろう。
なんて大きくて深いのだろう。
>黙ることは、聴くことだった。聴くとは、樹のことばを聴くことだった。樹のことばを聴くことが、樹を見ることだった。
・・・そして、樹のことばはきっと黙ることによって語られたかもしれない。
お互いに黙って、黙りと黙りが混ざり合ったときにことばになったかもしれない。
>大きな欅の木の高さから、音もなく、まっすぐに落下してくるもの。それが、おそらくは孤独とよばれる、ひとが一個の人生に負うべき、空なるものとしか言えないものの総量なのではないのだろうか。
・・・「ことば」で書かれた詩の感想を「言葉」で書くことは難しいです。
難しいというより、きっと不要なんだ、と思います。ただただこの静かに心澄み切ってくる感覚を大切にしていたい。
できるだけじっとしていよう。できるだけ静かにしていよう。樹が落としてくれることばを受け止められるように。


日高理恵子さんの写実的な樹の絵もすばらしいです。
この木々はきっと黙っている。詩人のことばのあいだを縫って、つぎつぎに、でもゆっくりとゆったりとあらわれる樹の絵。
静かで、一見何も主張していないような気がします。
小さな枝の一本一本まで、その枝の先まで、写実に忠実に描かれたこの絵は、
主張しないというよりも、こちらを受け入れているような気がします。
この絵の前に立つのがどんな人間であったとしても、必ず受け止めてくれる。
だから何も飾らず、何も言わずにただここにいればいいんだ、という気持ちになるのです。


タイトルは「空と樹と」・・・このあとにどんな言葉や文をつなげればいいのでしょうか。
その選択肢まで含めて読者であるわたしたちは受け取ります。
日高理恵子さんの絵と長田弘さんの詩が出会ったように、この縁に読者であるわたしたちも招き入れてくれているような気がします。