エリック・ホッファー自伝―構想された真実

エリック・ホッファー自伝―構想された真実エリック・ホッファー自伝―構想された真実
エリック・ホッファー
中本義彦 訳
作品社
★★★★★


労働に励み、余暇のすべてを読書と思索にささげた「沖仲士の哲学者」として知られるエリック・ホッファーの自伝の全訳(訳者あとがきより)
ニューヨーク生まれのドイツ系移民の子として生まれ、五歳で失明、十五歳で突然視力を取り戻し、その二年後に唯一の肉親である父を失う。
その後カリフォルニアに移り住み、あちこち転々としながら、
日雇い労働者、季節労働者など、底辺で働き、図書館に通いつめて、読書と思索の日々を送る。


視力が戻ったとき、これは一時的にすぎない、と考えて、浴びるように本を読んだそう。
本に、そして、知識に飢えていたのでしょうか。
失明していた10年間のことは、ほとんど書かれていないのですが、ほんとうに闇の中だったのかもしれません。
まるで乾いた土に水がしみこむような感じだったのだ、と思います。
このときに読んだドストエフスキーの「白痴」には大きな影響を受けたといいます。
次から次へと読破して、大学で学ぶべき化学、物理、鉱物学、地理なども、労働の余暇に独学で吸収し、練り上げ、
その道のプロに助言するほどになっていきます。
学問の場に招かれたりしても断り、現在の自由な立場を捨てない、本など書いている暇はない、という。
短命の一族の生き残りである自分の寿命は40歳である、との見通しを持ち、将来を思い悩むことなく、底辺で働き、思う存分読む日々・・・
繰り返し読むことにより理解が深まっていく読書の魅力を彼はこのように言います。

>それは数えきれないほどの細部を一つ一つ積み上げることによって、途方もない全体という印象を抱かせる、高い丸天井の大建築のようなものである。
彼の人生の遍歴、労働から労働へ、知識から知識へ、
その途次に出会い別れて行った忘れがたい人々の思い出は、なんと多岐にわたり、自由奔放で、不思議・・・
まるで物語を次々に読んでいるような錯覚さえ持ちました。
彼のであった人たちは、彼と同じ立場の季節労働者や日雇い労働者が多く、出会っては別れていくのですが、
そのつかの間の友情のなんと濃いこと、なんと輝かしいことだろう。
彼自身の善良さが招きよせる友情は、たとえ一瞬であっても、その後ずっと彼のなかで暖められていきます。


印象に残る話ひとつ。
貧民街からトラックに乗れるだけの労働者を乗せて、山のふもとにおろす。
ここで道路を造るのだ、という。無作為に集められた者たちの中には、大工も鍛冶屋もブルドーザーの運転手も・・・
それからコック、救急療法士、職工長まで、ありとあらゆる人材が集まっていた。
専門家並みの仕事をこなし、できあがった岩の壁や水路はまさに芸術品だった、という。

>われわれは、貧民街の舗道からすくいあげられたシャベル一杯の土くれだったが、にもかかわらず、その気になりさえすれば、山のふもとにアメリカ合衆国を建国することだってできたのだ。
おそるべし、底辺庶民の底力。


そして、哲学者、とはいえ、彼の哲学は、難しい理屈はありません。
わかりやすい言葉、優しい言葉で、人生を語ります。
それはもちろん机上の空論ではありません。彼の人生の旅の中から、彼自身が磨きぬいた言葉たちです。

自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それをやり遂げるには勇気がいる。闘いに勝ち、大地を耕し、国を建設するには、勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になれるのである。


>他人を進んで許そうとするからこそ、自分を許すこともできるのかもしれない。不満をなだめなければ、良心の咎めを感じることもできなくなってしまうのだ。