雷鳥の森

雷鳥の森 (大人の本棚)雷鳥の森 (大人の本棚)
マーリオ・リゴーニ・ステルン
志村啓子 訳
みすず書房
★★★★


小さな地図ではみつからないような町アジャーゴは、ヴェネツィアの真北、およそ50キロのあたり。
雷鳥の森に抱かれてある、といいます。
「わたし」も、その一族もその友達も、この森で猟をする。ノウサギをヘラジカを、ヤマウズラや、特にキバシオオライチョウを。
猟の前夜、男たちは眠れない。
朝四時、暗いうちにおきだして、興奮した犬たちとともに山に入る。忠実な犬たちとのチームワークが、獲物を追い詰める。
牧歌的でありながら、感傷を振り払うような厳しさを感じます。
「わたし」も、この町の人たちもまた、戦争を生き延びた人々でした。
ファシストに、笑いながら銃を向けられ、大切な犬たちを殺された。
何一つ身に覚えの無い罪状で、いきなり銃弾を浴びた。
ドイツ軍の捕虜となり、強制収容所に送られた生き残りだった。
戦争が終わって、人々は再び山に入る。そして、木を切る。
猟をする。
だけど、戦争の体験はそれぞれの骨身に刻まれている。
作者は「わたし」という一人称で戦争を語る。長い言葉ではない。
静まった山の緊迫した猟の描写の合間合間にぼそりと語られる。
語りたくない、とは作者は言わない。起こったことを、言葉少なく、飾りもつけずに、そのまま書く。
雄大な山の風景、獲物に対する尊敬、犬に対する信頼。
そして、その底に重低音のように流れる戦争の記憶が、重々しく深い印象を与えているように感じました。


印象に残るのは、「ポーランドでの出会い」
召集され戦地に赴く途中の兵士たち。
一ヶ月も待機と移動に費やして、自分たちが武装していることさえ絵空事のように思えてきたころ、
移動中の列車が停車した途中駅で同郷人に出会う。
彼は「バルチザン」であり、敵であった。殺しあうべき相手であった。
その彼から郷里の名前、言葉を聞き、タバコを分け合い、ビールを酌み交わした。
手を振り合って分かれたあとで、主人公(わたし)は自問する。
「この汽車に乗っているおれたちのなかで、帰れるのは、だれだろう。何人の同郷の人を俺たちは殺すことになるのだろう。そしてなんのために」


また、「昇任試験」・・・地位と報酬の上乗せを望み、承認試験に臨む主人公たちの奮闘ぶりの必死さが、おかしくて、
でもなんだかむなしく感じる。
自然の中の雄大な闘いの場面を読み続けつつ、こんな短編も入っているから、人のちまちました動きが、なんとも小さく感じます。


作者の体験も、友人たちの体験も山の谷間に吸い込まれていくようです。
人も動物たちも植物も、みな移り変わっていくのだろうに、まるっきり何も変わらないように見える自然。
何者にもたじろがず、抵抗もせず、泣きも怒りもせず、笑いもせず、ただそこにある。
そのことはどこまでも強く信頼できるのでした。

>なにもかもが新しかった。世界じゅうの支配者を束にしても、彼を支配することはできない。なぜならここではひとりとして命令を下す者はいないからだ。彼でさえ。とはいえ、あらゆるものの主人はだれかとなれば、それは彼だと言っていい。というのは、大地も、大気も、水も、支配者こそ持たないが、すべての人間のもの、いや大地、大気、水との付き合い方を知っている者たち、自分が森羅万象の一部たと感じられる者たちのものなのだから。