みそっかす

みそっかす (岩波文庫 緑 104-1)みそっかす
幸田文
岩波文庫
★★★★


一人前出ない、役立たずの、きたならしい、しょうのない残りかすという意味のみそっかす。
露伴に、男子を待たれながら、幸田家の次女として生まれ、「いらないやつが生まれて来た」とつぶやかれたその時から、自分は「みそっかす」で通してきた幸田文さん。
小学校卒業の日までの少女時代を振り返った随筆集です。

生母が亡くなり、姉を失い、やがて父の再婚。やってきた新しい「はは」への愛憎。父に対する複雑な思い。やがて、不仲となった父と「はは」のあいだで育つ子どもとしての思い。・・・などなど。特殊ですごい家庭環境のなかでの少女時代でした。
それにしても、父に対する気持ちもははに対する気持ちも、ほかの大人たち(父方の祖母、生母の妹である叔母)への気持ちも、なんとするどいこと。もちろん大人になってから子ども時代を冷静に振り返っての客観性ではあるのですが、説明しがたい率直さ、敏感さで、大人それぞれの心根を感じ取る能力におどろきます。ほんの子どもにして、すでに一人前の大人が感じる以上にその人の人となりを冷静に観察しているし、上っ面ではなく、その奥のほうをかなりしっかり見ています。おそるべき子ども。

なさぬ仲の「はは」に対する思い。
うまくいかぬ結婚生活に疲れていく「はは」に、子どもでありながら、黙って同情を寄せている。
このははは、率直で激しい人であったろうけれど、この人に育てられるということは、ぬるま湯のような優しさにくるまれて育つよりも、よかったのではないだろうか。
少なくても、二人のあいだには、どんな「ごまかし」もなかったように見受けられるのです。
このような「はは」であったからこそ愛し、憎みつつ、ともに暮らして来られたのではないか。
いえ、読者である私に、そんなふうに感じさせる幸田文さんの文章の客観性に恐れ入るべきかもしれません。自分に最も近いところにいて複雑な思いで、大変な努力をしながら共に生きていかなければならなかったひとのことをこのように書ける、ということに。
この「はは」と文さんは、よく似ていたのではないか、と思うのです。実の父親以上に、近いものを感じていたのではないか。

また「二人の先生」の章で、文さんをくるんだ森先生のやさしさには、どんな注を与えられなくてもほっとするのですが、二人目の園田先生――文さんにひたすら、辛らつなことばをかけ続けたこの先生。言いづらいことを、言うべきではないだろう言葉を、ずけずけと口にするこの先生に対して、文さんは心開いて聞いています。そして、先生に惹かれた、といいます。忘れられない人になっています。
・・・この先生の魅力。言葉ではない。やはり、この先生の真心をまっすぐ文さんという子どもは感じています。先生の誠実さ、頼もしさに気がついています。

幸田文さんの目からは、あまやかで一見やさしげな、ごまかしやうそは退けらていました。一見ひどい言葉、暴力、無視、そんなものを受け取りつつ、耐えることがあったとしても、そこにまっすぐな真実があるなら、彼女はそれを受け入れることが出来る人でした。

波乱万丈、大変な少女時代だったと思います。起こった事件をひとつひとつ箇条書きで並べ立てたら、それだけでとんでもない不幸と思うのです。だけど、「不幸」という言葉がこの本にはまったく似合わない。そんな気がしました。そして、ここから浮かび上がるのは、ひとりの女性の姿でした。

☆おまけ
幸田文さんは小学生時代、作文が大の苦手だったそうです。学校で人生は決まりません(笑)